岡田光信 × 南谷真鈴フロンティアスピリッツは
最大限の思考と行動から生まれる

Santos Man Special Intaview #10

エッフェル塔が建って間もない時期、ブラジル人の飛行家アルベルト・サントス=デュモンは自作の飛行船でエッフェル塔の周りを周遊するという航空史に残る記録を打ち立てた。しかし、これはサントスが残した数々の伝説の1つにすぎない。偉大なフロンティアスピリッツを持ち、次代を切り開いてきたサントスの精神は、世界初の実用腕時計「サントス ドゥ カルティエ」に息づいている。
そんなフロンティアスピリッツを兼ね備える、2人の人物がいる。片や宇宙空間に漂う無数のごみの除去という前人未到のビジネスを手がけ、片や日本人最年少で七大陸最高峰を制覇し、さらに北極点と南極点も踏破。大空の向こうにあるフロンティアを目指すという意味では同じ志をもつ二人が、自らの原点とこれからのビジョンを語り合った、対談第1回をお送りする。

2人の原点は科学雑誌にあった

岡田光信(以下、岡田)南谷さんのご著書、二冊とも読ませてもらいました。最近、本でも雑誌でも、メディアの言葉が軽くなっているというのが私の印象ですが、南谷さんの本は違いました。一言一句がリアルで重い。苦しい場面ではこちらも息苦しくなる。でも、読後感は清々しいものがありました。

南谷真鈴(以下、南谷)ありがとうございます。そんな風に言っていただけて大変光栄です。
私も岡田さんに関する記事をいくつか読みました。そこで嬉しかったのは、小学校時代に科学雑誌『ニュートン』を愛読していたということです。実は私も『ニュートン』を読んでいたんです。それがきっかけで宇宙に興味を持ち、宇宙飛行士になりたいと思ったこともあったのですが、視力が悪くて断念し、登山に切り替えたんです。

岡田それは奇遇ですね。ニュートン仲間だ(笑)。私も『ニュートン』を読んで、宇宙飛行士に憧れたことがあったんですが、裸眼視力が1.0を切っていたので諦めました。今は基準が緩和され、1.0なくてもいいそうですよ。

南谷私はひどい近眼で、エベレスト登山のときもコンタクトレンズをしていました。レンズ自体が凍ってしまうので、毎夜脇の下にレンズを入れて眠り、凍らないようにしてから装着していました。今は2.0まで見える眼内レンズを入れているので、いつでもどこでも視界はくっきりしています。こうしたテクノロジーの進化には日々感謝しています。
ところで、岡田さんは宇宙ごみの除去というユニークなビジネスを手がけていますが、なぜそれをやろうと思われたのでしょう。

岡田これはミッドライフ・クライシス(中年の危機)の賜物なんです。今から6年前の39歳のときでした。私には尊敬している人が何人かいて、その人たちが例外なく、40代のときに何ごとかを成し遂げていました。でも私はその大事な40代を前にして何をやりたいのか、中身すらはっきりしない状態でした。
どうしようと悩んでいたら、15歳のとき、『ニュートン』に触発され、アメリカのNASAでスペース・キャンプに参加し、そこで出会った日本人宇宙飛行士、毛利衛さんが書いてくれた「宇宙は君たちの活躍するところ」というメッセージを思い出したんです。

政府がやらないなら自分がやろう

南谷39歳ですか。

岡田遅いでしょう(笑)。それで宇宙では何がホットトピックなのか、それは新型ロケット開発なのか月探査や火星探査なのかを知りたくて、宇宙の学会にいくつも出てみたら、宇宙ごみの除去が、まだ誰も実現できていない喫緊の課題であることがわかったんです。「政府がやるべき」という声もありましたが、私は国に勤めていた経験があるので、政府は動かないと踏んでいました。経済政策や社会保障政策など、優先すべき課題が山積みだからです。だとしたら、民間が率先して取り組むべきで、私がやってやろうと。

南谷39歳までは何をしていたのでしょう。

岡田東京大学を出て大蔵省、現在の財務省に入り、予算配分の仕事をしていました。その後、マッキンゼーに転職し、さらに自分でIT企業を立ち上げ、アジア中でビジネスをしていました。ばらばらの経歴に見えるでしょうが、最近、痛感しているんです。これからがこれまでを決める、つまり、未来が過去を規定すると。

南谷普通は「これまでがこれからを決める。過去が未来を規定する」ではないでしょうか。

岡田確かに、世の中ではそう言われますが、私に言わせれば違うんです。例えば、このビジネスをまわしていくには大量のお金が必要になりますが、私は大蔵省にいたので金融の話は馴染みが深いものです。
あと、大学では農学部に在籍していたのですが、農学部は同じ理系でも理学部や工学部と思考方法が異なります。例えば、微生物の生態のメカニズムについてある発見をした場合、そのメカニズムが微生物だけではなく、昆虫にも地球環境にもあてはまる普遍的法則ではないか、と考えるのが理学部や工学部です。これを演繹的思考といいます。一方の農学部は微生物、昆虫、地球環境、それぞれを隈なく調べて、そこに共通する法則を導き出します。これは帰納的思考です。この帰納的思考が、誰も取り組んだことのない宇宙ごみの除去というビジネスを立ち上げていく上で、大いに役立っているのです。
それだけではありません。マッキンゼーに在籍していたときに鍛えられた問題解決のためのノウハウも重宝しています。過去すべての経験が、未来をつくっていくための肥やしとなっている。未来に向かって、過去が意味づけされたということです。

自らの存在意義を確かめるため、エベレストへ

南谷面白いですね。私は神奈川県川崎市で生まれ、1歳半の時に父の転勤の都合でマレーシアに渡り、一度は帰国するものの、中国の大連、上海、香港と4年に一度は住む国が変わり、学校もインターナショナルスクールからブリティッシュスクール、カナディアンスクール、現地校と2年に一度は変わっていました。その間、自分は果たして何者なのか、というアイデンティティの危機を感じていました。
そんななか、ある日登山と出会ったのです。登山をツールにして、自分の中にある見えない可能性を探りたい。南谷真鈴という人間の存在意義を確かめたい。その究極がエベレストへの登頂だったのです。そこから目標が広がり、19歳という日本人最年少で七大陸の最高峰に立ったのが2016年5月、それプラス、北極点と南極点に立つ「探検家グランドスラム」を達成したのが2017年4月で、20歳のときでした。
今は21歳になり、まだ大学生ですが、私は自分のことを登山家とも冒険家とも思っていないので、これから何をすべきか、迷っているところです。

提供:南谷真鈴

岡田21歳ですか!その頃、私はテニスに夢中になり、あとは女の子とのデート。雲泥の差だ(笑)。実はご著書を読んで、一番感動した箇所があるんです。南極の最高峰ヴィンソン・マシフの登頂に無事成功して下山した後、計画を変更し、いきなり南極点を目指しましたよね。

南谷はい。途中で知り合った極地探検家の話に影響を受け、七大陸最高峰制覇に留まらず、二つの極点を対象に加えた探検家グランドスラムを目指そうと決めたんです。

岡田普通はなかなかできないことですよ。直感で物事を決め、即行動に移し、その通りに南極点に立つことができた。すごい。自分に正直な人なのでしょうね。

南谷よくいわれます。嘘がまったくつけないタイプですね(笑)。世界の最高峰を目指そうと思って頑張っていたら、いつの間にか南極点、北極点到達も目標に加わったと。夢のドミノ倒しみたいなものです。

今の自分は思考と行動のかけ算でできている

岡田夢といえば、若い人を相手に講演することがよくあって、そこで「宇宙飛行士になるにはどうしたらいいですか」という質問をよく受けるのです。誰でもわかるように、JAXAの試験に合格するのが一番の近道ですが、私はこう言うんです。「それだけじゃない。有人宇宙船の運航会社をつくって、操縦席に紛れ込めれば、あなたの夢はかなうんじゃないでしょうか」と。

南谷発想の転換ですね。

岡田その通りです。その発想の転換を見事に成し遂げた人間が私の友人にいるんです。われわれは二人とも吉本新喜劇が大好きで、いつかその舞台に立ちたいと本気で話していました。その友人は大学を出て環境省に入ったのですが、突然辞めて、奈良県生駒市の市長選挙に出て、見事当選してしまったのです。それで何をやったかといえば、吉本新喜劇に働きかけ、公演を市内で実現させたばかりか、自らも役をもらって、舞台に立ったんですよ。

南谷すごい!

岡田若い人によく「今のあなたたちは、過去における思考と行動のかけ算でできている」と言うんです。考えたことと、行動したことのかけ合わせが今の自分だと。その価値を最大化するのは、極限まで考え抜き、いくら失敗しても挫けずに何度もチャレンジすることです。思考マックス、行動マックスだと。南谷さんだってそうでしょう。エベレストに登りたいという思考があり、それを着実に実行して今があるわけですから。

南谷はい。とてもいい言葉ですね。

Profile

岡田光信
1973年生まれ。シンガポール在住。東京大学農学部卒業。Purdue University MBA修了。高校生のときにNASAで宇宙飛行士訓練の体験をして以来、宇宙産業への思いが強くなる。2013年、宇宙ゴミを除去することを目的とした宇宙ベンチャーASTROSCALE PTE. LTDを創業。
南谷真鈴
1996年生まれ。2016年5月にエベレストに登頂し日本人最年少記録を更新、同年7月にはデナリ登頂を果たして7大陸最高峰達成の日本人最年少記録も更新した。17年4月、北極点に到達し、七大陸最高峰と南極点・北極点を制覇したことを示す「エクスプローラーズ・グランドスラム」達成の世界最年少記録を樹立した。著書に「自分を超え続ける」(ダイヤモンド社)など。