河野秀和 × 細尾真孝「人間にとって美とは何か?」が、
最重要の問いだ

Santos Man Special Intaview #7

「衣服」に関わる1200年の伝統を誇る京都西陣織の老舗12代目と、インターネットによる衣料生産プラットフォームを運営する経営者との対談。第1回では「衣服」に関わる者同士、それぞれの原点について対話が展開した。対談第2回では、革新的な取り組みを続ける2人の間で「伝統をいかにアップデートしていくか」という話題で盛り上がる。

生き残るためには変わらなければならない

河野秀和(以下、河野)15年前に全国に1万5000もあった縫製工場が今は約6000まで激減しているんです。そのうち、我々は約400工場と取り引きしています。

細尾真孝(以下、細尾)我々の西陣織もここ30年で市場が10分の1まで縮小しており、大変厳しい状況です。

河野そんなに減っているんですね。だからこそ、海外や他分野への進出に積極的なんですね。

細尾そうなんですよ。市場の縮小が、逆にチャンスになると。ところで河野さんは、そうした協力工場を見つけてネットワークに加わってもらうのに苦労しませんでしたか。

河野もちろん最初は苦労しましたが、大量生産、大量消費の時代が過ぎ去り、縫製業界全体が「多品種・小ロット」生産にシフトつつあったので、危機意識の高い工場ほど、私たちの想いに賛同し、パートナーとしてネットワークに加わってくれました。起業したタイミングがよかったんだと思います。

細尾僕が実家に戻ったとき、西陣織の業界は超保守的で、変わらないことが自分たちの強みであり矜持だ、という意識が強かったのですが、最近はそうでもなくなりました。よき伝統を残し、未来に受け継いでいくためには、ある部分を変えていかなければならないことに気づき始めたのです。
僕の場合、世界的な建築家であるピーター・マリノ氏から、西陣織を建物の壁面の素材に使えないか、と相談されたのが変化のきっかけでした。それには32センチ幅の生地しか織れない従来の織機では対応できないので、150センチ幅が織れる新しい織機を開発したんです。まずは1台つくり、年1台ずつ増やしていき、今は6台あります。その織機を操作できる20〜30代の若い職人も育ってきました。新しい技術が確実に次の世代にバトンタッチされています。

美、しくみ、テクノロジーの三つで形づくられる三角形

河野元気の出る話ですね。物づくりといえば、シタテルは社員の3〜4割がエンジニアという会社なのですが、先日、僕も同席して、あるプロダクトの要件定義や、どんな言語を使うかといった、細かい技術の打ち合わせをしていたら、弊社のCTO(最高技術責任者)が、ディスカッションで議論されていた打算的なコメントに対し、「人間は頭で理解するより感じ取る(認識する)ものがほとんどだ。会議であれこれ議論するより、細かい話は担当者に任せて、これ良いねと感じてもらえる(認識できる)仕様にすべきではないか」と。論理的な思考を持ちながら、そういう言葉を言える人間が開発のトップにいることがとても嬉しいと思った瞬間でした。

細尾テクノロジーが進歩すればするほど、「人間とは何なのか」という問題が重要になると僕は思います。もうひとつ、最も重要なのが「人間にとって美とは何か」という問いです。美は数値化できず、人間にとって不可解でとらえきれないもの、という見方が一般的ですが、違うと思います。美しいものには人間にとって有用な機能が必ず備わっています。そうした美しいものを少しでも多くつくり出すために、新旧あわせたテクノロジーの力をうまく使っていきたい。

河野今の話でいうと、美(ひと)としくみ、それにテクノロジー、これら3つが頂点を成す美しい三角形をつくるのが、われわれの役割ではないかと思っています。
つい最近、バーニーズ・ニューヨークが、海外のデザイナーを起用し、シタテルのプラットフォームを使って生産するオリジナルアイテムを発売しました。従来、出会うことのなかった三社が協働したトリプル・コラボレーションという意味で、これも新しい三角形をつくる試みだったと思います。

細尾企業のユニフォームもそうでしたね。その三角形をうまくつくろうとすると、何が鍵を握ると思いますか?

河野ひとつはトップクリエイターやエンジニア、研究者、ビジネスパーソンなどさまざまなバックグラウンドを持った人たちが立場を超えて集う魅力的なコミュニティが必要かもしれません。衣服産業の変革を行うには同じ業界の人だけでは限界があり、さまざまな人たちに越境してもらわなければなりません。弊社でも「Weare」というさまざまな人が集まるコミュニティづくりを開始しています。

伝統工芸の職人を増やしたい

細尾これもコミュニティの一種だと思うんですが、2012年に立ち上がった「GO ON(ゴオン)」というプロジェクトがあります。西陣織の僕の他に、木工、茶筒、竹工芸、京金網、陶器という計6つの伝統工芸を京都で受け継ぐ後継者たちが集まり、伝統工芸の可能性、未来を追求していくプロジェクトです。
これを始めることになったのも、たまたまなんです。いままで京都の伝統工芸は横の繋がりがあまりなく、西陣織は西陣織、木工芸は木工芸というように、それぞれの業界の中だけでコミュニティが完結していました。それは、経済的にもその業界の中だけで成り立っていたという理由からだと思います。
私は9年前に家業に戻り、西陣織を海外に展開する事業をスタートしたわけですが、最初からうまくいったわけではなく、ミラノやパリの展示会に商品を出すものの、全然勝てない状況でした。そんななか、あたりを見回すと、同じように肩を落としている日本人がいる。聞けば、京都で伝統工芸の実家を継ぎ、海外への販路を探していると。まるで同じ境遇ですからすぐに意気投合しました。そうやって仲間を増やしながら、「GO ON」をつくったんです。

河野「GO ON」の目的は何でしょうか。

細尾伝統工芸の活性化です。もっと簡単にいうならば「大きくなったら伝統工芸の職人になりたい」と言ってくれる子供たちを増やしたいなと。僕は小学生の頃、サッカー少年だったんですが、当時「将来はイタリアのプロリーグ、セリエAの選手になりたい」という子どもは皆無でした。今は山ほどいるでしょう。海を渡り、大舞台で活躍する日本選手が激増したからです。「GO ON」の活動を通して、あの6人がこんなことをやっているんだったら、自分たちも何かできるはずだ、という意識変革につながっていけばうれしいですね。
また、2017年7月、京町家をフルリノベーションした一日一組限定の宿泊施設「HOSOO RESIDENCE」をオープンしました。工芸建築をテーマに内装には西陣織や左官の技術がふんだんに使われ、小物や調度品も伝統工芸のもので構成しています。実 際 に 滞 在 し 体 感 していただくことで 年月と人々の手によって培われたものづくりの価値を感じていただきたいと考えています。また宿泊者は専用ハイヤーで伝統工芸の工房をまわることができ、観光では得られない、生涯にわたる伝統工芸と京の地との関係を構築できます。

HOSOO RESIDENCE内の寝室

京都の素材の力を世界に知らしめたい

河野細尾さんのお話を聞いていると、京都への深い愛を感じますね。

細尾ありがとうございます。京都で1200年、京都あっての西陣織ですからね。河野さんは熊本市内で創業し、そこに本社を置いていますが、なぜ熊本だったのでしょうか。

河野熊本は東京に比べればとても小さな町で、行動の妨げになってしまうような雑念が浮かぶことが少なく、これからやるべきことやビジョンを考えるのには非常にいい場所です。アップルやグーグルなど、シリコンバレー発の革命的なIT企業はよくガレージから生まれたと言われますが、僕にとって熊本がその場合のガレージなのかもしれないと思っています。

細尾それは壮大な志ですね。

河野現在は東京にもオフィスがありますが、これからは場所にとらわれずに事業を行いたいと思っています。短期的な経済合理性だけで考えると、人や情報やお金が集まる大都市に本社を置くのが常識ですが、あえてそうしませんでした。

細尾場所にとらわれないとなると、グローバルでの活動も期待できますね。

河野そうですね。今は日本だけですが、海外の工場もプラットフォームに組み込もうと考えています。海外と比べても日本の縫製技術は高い印象ですが、日本国内の生地(テキスタイル)は文句なく世界トップ水準です。欧米のデザイナーが日本の生地を使うことにこだわったり、アジアのデザイナーが優れた生地を求めて来日したり。そんな話をよく耳にします。

細尾それは嬉しいですね。実はその件で、河野さんにご相談したいと思っていたのです。京都は伝統的素材の宝庫であり、生地はもちろん、金属、木、石などの素材の力を海外の企業やトップデザイナーに直接知ってもらいたい。1200年の歴史を経て、時に大きく変化しながらも生き残ってきた伝統的素材という「縦糸」に、グローバル、テクノロジー、クリエイティブという新しい「横糸」を組み合わせると、どんな美しい織物が出来上がるのか。それに挑戦したいんです。

河野面白そうですね、ぜひまたあらためて詳しく聞かせてください。

Profile

河野秀和
1975年熊本県生まれ。メーカー、外資系金融機関を経て、独学で経営学を学ぶ。2013年に米サンフランシスコ・シリコンバレーで最先端のIT・テクノロジーを導入したサービスやシステムの開発等を学び、ベンチャー企業を取り巻く法律などの見識も高める。帰国後、14年に衣服生産のプラットフォーム「シタテル株式会社」を設立。
細尾真孝
元禄年間に織物業を創業した西陣織老舗、細尾家に生まれる。大学卒業後、音楽活動を経て、大手ジュエリーメーカーに入社。その後、2008年細尾に入社。「伝統工芸」を担う同世代の若手後継者によるプロジェクト「GO ON」のメンバーとして活動中。16年7月よりマサチューセッツ工科大学(MIT)ディレクターズフェロー(特別研究員)に就任。