河野秀和 × 細尾真孝カギは「妄想」にあり
伝統的なものづくりが生き残る道
伝統と革新。それは、約1世紀もの間、世界中の人々に愛されてきた腕時計「サントス ドゥ カルティエ」のキーワードでもある。生みの親であるアルベルト・サントス=デュモンの革新的で大胆な精神は、長い時を経て今もなお、その時計に息づいている。
伝統と革新とは、相反する意味を持つ言葉であるが、革新なき伝統は停滞につながり、伝統とならない革新は新奇なもので終わってしまう。そのジレンマに陥らないためには、どうすればいいのだろうか。1200年の伝統を誇る京都西陣織の老舗を背負う12代目と、インターネットによる衣料生産プラットフォームをつくり上げた起業家が、示唆に富んだ対話を繰り広げた。
西陣織を生地としてではなく素材として売り出す
細尾真孝(以下、細尾)河野さんにお会いするのはこれで3度目です。先日(2018年3月15日)は世界遺産になった群馬県の富岡製糸場で行われた経済産業省主催のシンポジウムに呼ばれ、パネラーとして一緒に登壇してきましたね。
そのときもお話しましたが、富岡製糸場と西陣織は同じ「フランス」というキーワードでつながっているんです。ご存じのとおり、富岡製糸場は海外の優れた製糸技術を日本に移植するために、1872年に明治政府がつくった官営模範工場で、具体的には生糸先進国、フランスの技術が導入され、数多くのフランス人が働いていました。
かたや、西陣織は1200年の歴史を誇っていますが、今から150年ほど前の同じ明治時代、フランス語もできない3人の若者を船でフランスのリヨンに送り込み、パンチカードを使い、自動的に経糸が調整できるジャガード織機を持ち帰らせています。そのうちの1人は、航行の最中に船が沈み命を落としてしまったのですが。
明治になって社会体制が大きく変わり、西陣織の需要に大きな陰りが生じていました。その織機の導入というイノベーションがなかったら量産は不可能でしたから、とっくに衰退していたでしょう。
河野秀和(以下、河野)私も富岡製糸場で細尾さんが話した内容には驚かされました。遺伝子組み換えカイコを使って緑色の蛍光色を発する新素材を使い、海外に打って出ようというのですから。西陣織を単なる生地としてではなく、クリエイティブな素材(マテリアル)と位置付け、世界のファッションブランドやホテル、アーティストに売り込んでいる。私に言わせれば、細尾さんはもう伝統工芸業界の人ではなく、他に類のないクリエイターですね。
細尾ありがとうございます。河野さんのお話も非常に勉強になりました。世界の縫製工場・サプライヤーと、デザイナーや企業をインターネット上で繋ぐという。日本が誇る高い技術を持つ縫製工場という既存産業の可能性を、テクノロジーの力を使って、どう広げて行くかというお話でしたね。
河野私はインターネットを使い、新しいプラットフォームに衣服産業をのせている。細尾さんは西陣織という伝統的なプラットフォームに、新しい素材や人をどんどん呼びこんでいる。私たちの取り組みは似ているところもありますが、対照的でもありますね。
ところで、細尾さんのクリエイティブの原点になった出来事は何ですか。
細尾高校1年生のときに出会った(パンクバンドの)セックスピストルズでしょうか。それまでも音楽が好きでビートルズのコピーなどをよくやっていたのですが、最初のフレーズだけで息が切れて、一曲演奏する根気が続かないという悩みがありました。そんなとき、ピストルズのアナーキー・イン・ザ・U.K.という曲を耳にし、これだと思ったんです。ギターをかき鳴らして叫べば、立派なオリジナルになると(笑)。そこから音楽の世界にはまり、大学を出てからは、収入は多くありませんでしたが、テレビのCMをつくったりしてプロのミュージシャンとして活動していました。後にジュエリー会社でも働きました。
連携がうまくいかない衣服産業への違和感
河野家業を継ぐ気はなかったのですか?
細尾まったくありませんでした。今から考えると、西陣織という伝統を重荷に感じ、そこから離れようとして、対極にある音楽やジュエリーに走ったのでしょう。でもそのうち、西陣織を海外に広めるプロジェクトを父親が立ち上げ、それは面白そうだ、と実家に戻ることにしたのです。
河野さんの原点はどこにあるのでしょうか。
河野私は熊本で生まれ育ったんですが、メーカーや外資系の保険会社で勤務後、独立して経営コンサルタントになり、熊本県内で弁護士や会計士と、リスクマネジメントを推進する中小企業向けのコンサルティングチームをつくって活動していました。
一方で、熊本にはセンスの良いセレクトショップが昔から多くあったのですが、あるショップのオーナーから「限定アイテムを30着ほどつくりたい」という話を相談されました。「いいじゃないですか、単価も高いからやるべきですよ」と勧めたのですが、「実は簡単にはつくれないんですよ」という意外な反応でした。詳しく事情を聞くと、メーカーと直に取引をするのが難しく、商社や卸、企画会社といった中間業者が必ず入ってくる。その結果、製造から納品までの工程が複雑になり、簡単ではないと。
その後、同じ県内にある縫製工場に出入りする機会があり、そこの工場長に話を持ちかけたところ、「生産ラインが空いているので30着つくりますよ」という嬉しい言葉が返ってきて、生産してくれたことで、ショップのオーナーも大喜びでした。この出来事がシタテルを始めるきっかけになりました。
お互いがお互いを必要としているのに、スムーズに連携できないことに、とても違和感を持っており、当時はコンサルタント事業も順調で、とても難易度の高い挑戦になることは理解していたのですが、衣服産業が抱える問題と社会の課題を解決したいという思いを止められず、起業に至りました。
あらゆる創造の原点には想像すること、“IMAGINATION”があります。世界中の人々が持つイマジネーションの力を引き出し、豊かな社会の実現に向けて「知的想像」とその知によって価値あるものを創造する「創造的想像」を調和し、物事が生み出されていく環境を構築していきたい。そんな想いから弊社のビジョンに“IMAGINATION”を掲げました。
事業領域はアパレルやファッションではなく衣服
細尾僕を突き動かしているのは、イマジネーションというより「妄想」かもしれません(笑)。西陣織は9000本の縦糸でできている複雑な構造を持った織物です。1本1本の糸をコンピューターで管理し、織り込む技術が既に確立されていますから、例えば生体センサーを織り込むこともできる。そんな布で車のシートをつくれば、運転手の居眠りを察知し、自動的に車を停車させることもできるようになる。あるいは熱を発するセンサーを仕込めば、その布だけで暖が取れる。
漫画『ドラゴンボール』に出てくるホイポイカプセルってご存じですか? カプセルを投げると、ドーム状の家がポンと出てくるものですが、織物に構造と機能を持たせれば建築物になるだろうと考え、西陣織の布を使って、家をつくりたいとも思っているんです。あとは宇宙事業にも興味があります。西陣織の多層構造の中に様々なテクノロジーを織り込むことで、未来の宇宙服は西陣織になるかもしれない。
河野宇宙といえば、JAXA(宇宙航空研究開発機構)が、宇宙ポッド内に長期間滞在する宇宙飛行士に用意している衣服があります。そこにはテキスタイルメーカーが開発した消臭・防汚機能を有するハイテク繊維の素材が使われているのですが、シタテルのしくみを活用し、同じ素材を使った大手飲食チェーン店のユニフォームを制作しました。飲食店の厨房の中は過酷で、いろんな汚れや匂いが染みついてしまう環境なので、今回のような素材の機能が活きてきます。そこに、デザイナーとして海外でも評価され、テクノロジーをファッションと上手く掛け合わせた服づくりを実践しているブランド「アンリアレイジ」の森永邦彦さんに相談したところ、ぜひチャレンジしてみたいとコメントをいただき、この大きなプロジェクトを実現することが出来ました。
細尾飲食店の厨房と宇宙ポッドがつながったわけですね。
河野はい(笑)また、生地の表面に特殊なプログラムのプリントを施してあり、近づくと風のような模様、柄が見えるのですが、一定の距離に遠ざかると、その企業の理念がメッセージとして浮かび上がるという森永氏による演出(プログラミング)が施されています。
細尾なぜまた企業のユニフォームまで手がけるようになったのでしょう。
河野私はこの事業を始めてから、ファッションやアパレルという言葉を極力使わない代わりに、「衣服」という言葉を使っています。
衣服となると、ファッションやアパレルからイメージされる「着飾る」だけではなく、「装う」「守る」「動く」「働く」「防寒」「耐熱」など、果たすべき役割や機能が拡張します。いずれも人間が生きていく上で不可欠なことばかりですから、事業のアイデアも無限に湧いてきます。
細尾確かにそうですね。しかも「衣食住」というように、人間の三大活動のうち「衣」が最初に来ていますしね。
河野はい。そして同じような理由で、クリエイティブやイノベーションという言葉も、なんとなく一部の限られた人向けのやや敷居の高いワードになっているので、「想像すること=イマジネーション」という言葉にすることで、より多くの人が目的を実現出来るようになると考えています。
- 河野秀和
- 1975年熊本県生まれ。メーカー、外資系金融機関を経て、独学で経営学を学ぶ。2013年に米サンフランシスコ・シリコンバレーで最先端のIT・テクノロジーを導入したサービスやシステムの開発等を学び、ベンチャー企業を取り巻く法律などの見識も高める。帰国後、14年に衣服生産のプラットフォーム「シタテル株式会社」を設立。
- 細尾真孝
- 元禄年間に織物業を創業した西陣織老舗、細尾家に生まれる。大学卒業後、音楽活動を経て、大手ジュエリーメーカーに入社。その後、2008年細尾に入社。「伝統工芸」を担う同世代の若手後継者によるプロジェクト「GO ON」のメンバーとして活動中。16年7月よりマサチューセッツ工科大学(MIT)ディレクターズフェロー(特別研究員)に就任。