時を経ても色褪せないクリエイティビティとは何か。世界で初めての実用的腕時計で、現代のスタンダードともなっている「サントス ドゥ カルティエ」ように、消費されることなく愛され続けるものはどのようにして生まれるのか。
こうした問いを深め、新たな着想を得るには、異なる視点を掛け合わせることが功を奏する。そんな考えから、カルティエは2018年から、“イノベーターが集い、化学反応が生まれる場”として「Santos Lab」プロジェクトを展開し、イベントやワークショップを行ってきた。
コロナ禍においてリアルに集うのは難しくなったが、オンラインイベントの普及により、同じ時間をより多くの人と共有することができるようになった。この機会にできること──2月19日、日本を代表するクリエイティブ集団、ライゾマティクスが主宰する「Staying TOKYO」とコラボレーションしたオンラインイベントを開催した。
ゲストは、伝統や記憶という過去に向き合いながら、未来を創造する二人のクリエイター。西陣織「細尾」12代目の細尾真孝と建築家の田根剛を迎え、Staying TOKYOのホストであるライゾマティクス真鍋大度、パノラマティクス齋藤精一とトークセッションを行った。モデレータは、「Santos Lab」立ち上げから伴走する元Forbes JAPAN編集長次長兼Web編集長、現KESIKIパートナーの九法崇雄。
伝統工芸の後継者、原点は「パンク」
「細尾」は、元禄元年(1688年)から続く西陣織の老舗。西陣織自体は1200年以上の歴史を持ち、古くは貴族や武士階級、裕福な町人など限られた人のためにオーダーメードで作られてきた。すなわち、顧客を満足させるために、「美」を創造し続けてきたのが西陣織だ。
長年にわたる歴史は、伝統という名の有形無形の枠組みをかたちづくる。それは美しさやクオリティを担保する一方で、ともすれば硬直した保守性にもつながる。学生の頃、細尾にとって西陣織はまさにその負の側面ばかりが目につき「コンサバティブで、クリエイティブなものには感じなかった」という。
細尾は高校一年生のときに出会ったパンクロックに傾倒する。人の曲をコピーするのではなく、デタラメでもコードを押さえられなくても、ギターを掻き鳴らして自分が好きなように作っていい。そんな世界に魅せられ、細尾は家業を継ぐことなく、音楽、やがてファッションビジネスの世界へと進んだ。
しばらくして、先代である父が西陣織を海外へ広めようと動き始めたとき、日本を出るという型破りさと、積み上げられた伝統を受け継ぐことに価値を感じ、家業を手伝い始めた。
織機を開発し、それまで帯の幅である32cmでしか織れなかった生地を、150cmの幅で織れるようにした。32cm幅の布で作れる海外向けのアイテムはクッションカバーがせいぜいだったが、150cmあればインテリアのためのテキスタイルとして活用の幅が広がる。海外でも細尾のテキスタイルが求められるようになった。
生地や着物を取り扱う店舗も、「細尾本店」という古来の名称ではなく「HOSOO FLAGSHIP STORE」とした。細尾の世界観を海外からのゲストに感じてもらえるような宿として古い京都の町家を改装した「HOSOO RESIDENCE」もオープンした。
旗艦店の2Fには「HOSOO GALLERY」があり、実験的な作品を展示したりイベントを開催したりしている。
九法が問う。「廃業する会社もあるなかで、細尾さんはフラッグシップストアを作ったり、アーティストとコラボレーションをしたり、どんどん新しいことに取り組んでいる。その原動力はどこにあるのですか?」。
「原点はパンクかもしれません。パンクには、既存のコードを否定して新しく作り直すという精神性があります。セックス・ピストルズのボーカルだったジョニー・ロットンは、自分たちの真似をするバンドを見て『あんなのはパンクじゃない』と言ったといいますが、僕が好きなのは、過去のものを壊してきた人なのかなとも思うんです。千利休がいう“守破離”もそうです。破る、ということが必要なんです。サントスもそうですよね。首にかけたりポケットに入れたりしていた懐中時計を、腕に巻くものにした。そしてそれを、今の時計の当たり前に塗り替えてしまいました」
そして続ける一言に、細尾なりの伝統への理解と、深い敬意が込められていた。
「壊そうとしても挑んでも、その行為をも飲みこんで変わり続ける。それが“伝統”の力です」。
西陣織は、20もの工程それぞれに精通した職人がおり、その職人たちがフラットにコラボレーションするものづくりだ。日本最高峰の美を求める顧客たちに応えるというハードルを超え続けてきた、クリエイティブなセッションの蓄積。それは、壊そうとしても壊せるものではない。だから、細尾は臆することなく、どうしたら今を超えることができるのか、挑戦を続けている。
トークも終盤に差し掛かり、九法から改めて「長く愛されるものに共通することはなにか?」という問いが細尾、真鍋に投げかけられる。
真鍋(左上)と細尾(下)は音楽やプログラミングなど共通項が多く、トーク終盤には「いつかコラボレーションしたいですね」という話に。
真鍋が引用するのは、古代アフリカのモザイク模様だ。
「僕たちがいまプログラミングで幾何学模様を作ることも、紀元前にアフリカの人々が手で模様を描いたことも、本質的には同じこと。テクノロジーが進化しても、受け継がれて引き継がれる“美”には絶対的なものがある。それは僕自身が身を持って体験しているものでもあります」(真鍋)
「西陣織でいうと1200年、織物自体は9000年の歴史があり、そのなかで美は受け継がれてきました。日本の染織の産地を訪ねて回っていると、染織がその土地のメディアであることに気付かされるんです。古い布に技術が残されていて、それを現代の職人が発見したり、復元させたりしながら受け継いでいる。自分もそういうものを作りたいと思っています」(細尾)
モノが受け継がれる過程で、人から人へとコンテクストが受け継がれる。消費されるものと、長く受け継がれるものの違いは、その物語の有無ではないか、そう細尾は語る。そして、この細尾の指摘は、続くセッションでも角度を変えてさらに語られることになる。
場所の記憶を掘り下げ、未来につながるものをつくる
トーク第2部は、真鍋から齋藤にかわり、ゲストに迎えたのは建築家の田根剛。かつてコロンビア大学で建築デザインを学んでいた齋藤は田根のファンであり、かねてから親交のある二人だが、向き合って話すのは今回が初めてだったという。
田根は2006年からパリを拠点に活動をしている。代表作はエストニア国立博物館。東京の新国立競技場のデザイン・コンクールでは、古墳を模したデザインで11案に絞られた最終選考まで残った。
そんな田根にまず九法は、「田根さんはよく“場所の記憶”という言葉を使っていますが、場所の記憶とはどういうもので、それをどうやって建築に取り込んでいるのでしょうか?」と問う。
エストニア国立博物館を田根が受注したのはまだ20代のとき。まだ独立したばかりの田根には「新しいもの、新しいデザインを作らないといけない」という強迫観念があったというが、その一方で「ただ目新しいだけの建築物が、10年経って古めかしくなり、次の新しいものにとって代わられる。時が経ったときにその場所にある意味を失うようなものが、果たして建築と呼べるのか?」という問題意識もまた感じていた。
そして田根は、その場所に、その建築があることの意味を「その場所の記憶を掘り下げ、未来につながるものをつくる」ことに見出した。
その場所を訪ね、そこに眠る歴史を知り、人に触れる。想像力を働かせて、見出したヒントから物語をふくらませる。まるで考古学者のように掘り出し、考察していくという田根の手法の独自性を齋藤は指摘する。
「そのやり方だと、普通はキーワードや事象をもとに樹形図のように連鎖して発想していくものだと思いますが、田根さんは事務所の壁にピンナップするように写真やイメージを集められていますよね。それは発見のためのすごくいいメソッドだと感じるんです」
事務所の壁にはプロジェクト毎に収集した様々なイメージが品アップされている
田根が代表を務める「atelier tsuyoshi tane architects」は、スタッフの国籍が10以上にわたる。そこで情報を共有するには「言語は不自由だから」と田根は答える。
その場所で生きた人々の記憶の集積から、そこにあるべき建築を考えるという手法は、もちろん新国立競技場の提案でも同じだった。コンペで選ばれていたザハ・ハディッドの未来的なフォルムは、理想の形状が進化していくという意味で一つのやり方であると認めた上で、「明治神宮の森を100年かけて作った東京にあって、その意味が薄れてきたいま、また100年かけて新しい場所を作ろうという思いで、日本の古代を象徴する建築である古墳をモチーフにしたスタジアムを作る。いまでもこれが一番いいと思っています」と振り返る。
想起する概念を捉えようとするように、齋藤は独り言のように言葉を紡いでいく。
「長く愛されるとはどういうことだろう? 100年持つ建築という発想、マテリアル、考え方、佇まい……。今の近代建築に、あれほどの強度はあるのかと思うんですよね。僕が学んできた建築はザハの方向でした。コンピューターを使って想像を超えたものに辿り着こうとする。しかし、田根さんがやっていることは(自然物や古代のモチーフを使っているにも関わらず)未来である、ということを強く感じます」
「iPhoneなんて、10年で何回新しくなりました?」と、田根はいたずらっぽい表情で答える。新しくなるたびに人類は大量の消費を繰り返しているが、それで僕らは豊かになれたのか、と。
新しいものが未来を作ることにはならない。むしろ田根が信じる建築とは、場所とその記憶が忘れ去られるのではなく、「記憶をもとに未来へと進むという志として、その建築物がある」というものであってほしいという。
世界最古の木造建築である法隆寺は、燃焼しても、作り方を記憶している宮大工の手により作り直された。伊勢神宮は、式年遷宮という儀式を通じて、素材は新しくなりながらも記憶を継続している。ノートルダム寺院は15回以上の増築や改修を行いながら、変わらず人々とともにある。
「新しくしないことも、未来のための建築なのではないでしょうか」と田根はいう。
「TIMELESSというお題はとても難しいと僕は思います。普通に考えると“普遍的な唯一の美”を求めてしまいますが、僕は違うと考えているんです。古いものが新鮮に感じたり、遠い時代のものにものすごく驚いたりするのが僕たちの時代なのではないでしょうか。技術よりも自然が生み出すものに未知なる世界を感じたり、蓄積された記憶の集積を想像したりすることが、強く長く残るものを生み出す。モノのライフスパンが短命になるからこそ、必ずしも美学ではない形で、時間軸を超えられるものとして次の時代に残るのではないかと思うんです」
冒険家アルベルト・サントス=デュモンとカルティエ3代目当主のルイ・カルティエが生み出した腕時計を中心に、カルティエは「Santos Lab」という取り組みを通じてさまざまなクリエイターをつなぎ、刺激的な会話を生み出してきた。
クロージングのトークで、齋藤がしみじみと語る。
「ハイエンドで新しいものだけがテクノロジーとして見られがちですが、建築や都市開発という話もするなかで、過去に生まれたものを保全する、補修するというテクノロジーもすごく大きなテクノロジーですよね。その部分を最近忘れがちだったなということを、今日お二人の話を聞いて思い出しました」
時代を代表する才能が交錯するなかで、互いのクリエイティビティを刺激し合うという本質は、サントス=デュモンの時代もいまも変わらない。それを改めて感じる「Santos Lab」だった。