1904年に誕生した「サントス ドゥ カルティエ」は、航空界のパイオニアであるアルベルト・サントス=デュモンが、飛行中に懐中時計を取り出すのが困難であることを友人のルイ・カルティエに相談したことからつくられた世界初の男性用実用的腕時計だ。
大胆に空を舞う冒険家であり、時代を切り開く先駆者だったサントス=デュモンは、当時のパリの社交界でも知られた人物。数多くの科学者や芸術家、アーティストたちと刺激を与えあい、ルイ・カルティエとの交流もその中から生まれた。では、現代においてのかくなる知性と感性の混交は、いかにして可能になるのか?
今年3月、約20名の起業家、イノベーター、クリエイター、そしてアーティストたちを招き、「Collaborative Innovation −共創−」と題したワークショップが、INTERSECT BY LEXUS TOKYOで開催された。
登壇するのは、スープ専門店「Soup Stock Tokyo」やネクタイ専門店「giraffe」などを手がけるスマイルズの遠山正道と、クリエイター集団PARTYの伊藤直樹のふたり。2018年11月に共同出資による新会社「The Chain Museum」を設立してアーティストの活動を支援するサービスを立ち上げた彼らの話を聞く来場者みなが、いま、第一線で活躍するクリエイター。登壇者と話を聞く側が垣根を設けることなく語り合い、双方で共創してこの会をつくりあげることが狙いだった。
遠山と伊藤のトーク、そして参加者から彼らに投げかけられた、ときに彼らから参加者へ投げかけられる問答を経て、やがて知性と感性が融合していった奇跡の一夜の様子をご紹介しよう。
右から、PARTYの伊藤直樹、スマイルズの遠山正道、モデレーターは元『Forbes JAPAN』編集次長 兼 WEB編集長で、AnyProjects Co-Founder & Partnerの九法崇雄が務めた。
「子供の眼差し」×「大人の都合」
食べるスープの専門店「Soup Stock Tokyo」、ネクタイ専門のブランド「giraffe」の運営、一冊の本を売る書店「森岡書店」のインキュベートなど、遠山が手がけるビジネスは多岐に渡る。共通するのは「世の中の体温をあげる」こと。その取り組みに共通するのは「何をやるべきか」をまず考えることだと遠山は語る。
「20世紀まで、需要と供給で考えると世の中は需要が多い時代でした。ビジネスを展開するにあたってはマーケットを分析し、需要に答えていくことで結果を出すことができました。しかしいまは供給過多の時代。マーケティング先行では世の中に提言することはできません。私は自分の中から湧き上がるものを“子供の眼差し”と呼んでいますが、その人自身の発意を大事にしています。もちろん子供の眼差しだけでは世の中は生きていけませんから、“大人の都合”も考える。ただし、この両者をきちんと分けて考えることが大事です」
PARTY伊藤は、The Chain Museumを遠山とともに立ち上げるにあたって、遠山のイメージが以前とまるで変わったという。
「丸い眼鏡をかけて、デンソーの奇抜な帽子をかぶって、いつも笑顔の遠山さん。一緒に事業をやらせていただくまで遠山さんは“子供の眼差し”で攻めてくる人なのだろうと思っていたんです。しかし、実は一番大人なのが遠山さんでした。遠山さんは33歳まで三菱商事に勤めていらっしゃいました。実は“大人の都合”側のことをちゃんとわかっている人だったんです」
モデレーターを務める九法崇雄は遠山に問う。アートとビジネスの関係は、感性と知性の対立構造のようにも捉えられる。これからの新しい価値を作っていく上で、これらの両者を融合させていくことが重要だとしたら、“子供の眼差し”から立ち上がるプロジェクトに、いかに遠山はビジネスサイドを巻き込んでいったのか、と。事実、The Chain Museumにはスタートアップに強い投資家、谷家衛がアドバイザーとして参加している。
言葉にすることでビジネスを定義し、巻き込む
「The Chain Museumでいえば、アーティストが展覧会やインスタレーションに作品を展示したとしても彼らがそこから得る収入は少ない。ですから、個人がアーティストを直接金銭的に支援できる仕組みを作りたかった。そこで、“ArtSticker”というアプリを作り、まずコピーを考えました。
アートには
お金が必要だ。
王様や宗教にかわって
私たちがそれを支えよう。
アートを自由にする
小さくて大きな革命
自分の“子供の眼差し”からスタートして、でもビジネスはひとりじゃできないから周りを巻き込まないといけません。そして自分自身すべてを見通して始めるわけではない。そこで言葉がすごく大事なんです。言葉にすることで、自分が世の中に点と点を打ったところのつながりと、ビジネスとしての顔立ちがしっかりしてくる」
伊藤は言う。PARTYには日本でトップクラスのコピーライターがいるが、遠山のコピーはそのレベルを遥かに超えると。「ArtStickerのコピーの中に“王様や宗教にかわって”という言葉がありますが、この言葉は優秀なコピーライターでもそうそう出せるものではない。遠山さんは自分で言葉を書いて、こういうのどう? とミッションを立ててくる。いま世の中でミッションやバリューを自ら定義する重要性が注目されていますが、実は遠山さんは1999年にSoup Stock Tokyoを立ち上げたときからやっているんです」
コラボレーションを“自分ごと”とするための方法とは?
優秀なプロフェッショナルたちとチームを組み、ビジネスを成立させていくことを広義のコラボレーションと呼ぶならば、独立したもの同士を言葉で巻き込むだけでは足りない。遠山はさらに、“自分ごと”にする重要性を説く。
「ビジネスって大変じゃないですか。利益が出ず大変なときに、なんでやっているんだっけ? と立ち返る場面がいくつもある。そのときに自分たちのなかに理由がなく、ただ流行っているらしい、この技術がすごいらしい、ではそこで終わってしまう。“自分ごと”にすることがとても重要。だから私のビジネスはアートと相性がいいんです。アーティストは自分のなかにコンテクストを持っているから。いいときも悪いときも、進むことも止めることも自分たちのジャッジで平気でできるように、自分たちの言語でやっていきたい。そうすると自ずとリスクを小さくするようにスケールは小さくなり、その分自分たちでやるということをやってきました。他社さんと協業することはありません。やるなら、自分たちで会社を作る。それがお互いの“自分ごと”にするためのきっかけになるんです」
自分から湧き上がるアイデアから出発し、言葉で定義して協力者を巻き込みながら、小さくても会社として各自の“自分ごと”とするのが遠山の手法だ。そんな遠山に質問があがった。
写真中央が古谷聡美。Clarityでは、様々なデータにより企業毎の働き方を透明化し、働き方から仕事を探せるサービスを提案。働く女性ひとりひとりが自分のライフスタイル、ステージに合った職場とマッチングすることで、企業にとっても退職による損失を防げるというメリットがある。手前には株式会社細尾の細尾正孝の姿も。
質問者は、Slush Tokyo 2019で日本人としてはじめてSlushピッチコンテストで優勝した女性起業家、Clarityの代表・古谷聡美だ。かつてビーコンコミュニケーションズに勤め、クリエイティブパワーで社会課題を解決することに挑んだが最終的には自分自身が起業する道を選んだ。
「実際にエージェンシーを離れてみて感じたのは、広告・アートの才能と、スタートアップやエンジニアの接点がないことでした。どうしたら両者をミングル(混ぜ合わせる)ことができるのでしょうか」
ときに仕掛ける側に回ることで、引き出しを増やす
遠山は言う。
「多くのクライアントワークがあり、今後それら世の中に働きかけることはプロジェクト化していくと考えていますが、このプロジェクトにおいては3種類の人が存在します。“仕掛ける人”、“声がかかる人”、そして“どちらでもない人”。今日ここにいるみなさんはすごい勢いで“声がかかる”人ばかりだと思います。でもたまに“仕掛ける人”の側に回ってみる癖をつけることです。使う筋肉がまったく違いますが、力になる。請負仕事で蓄積したデザイン力やさまざまな経験値を、小さいことでいいから“仕掛ける”側でやってみることで、いざ“声がかかる人”になったときにユニークなアイデアが生まれ、自分の引き出しも増えていることになります」
仕掛けることとは、自ら課題を発見することに他ならない。この流れを汲みとった登壇者の伊藤から、参加者への逆質問が発せられた。多彩な才能が集結するSantos Labならではの光景だ。伊藤が質問を投げかけた相手はMinimal -Bean to Bar Chocolate- の山下貴嗣。
「山下さんはリンクアンドモチベーションという人の課題を解決する立場から、自分で課題を設定してチョコレートに取り組んでいらっしゃいますが、その変化を聞きたいです」
Minimal -Bean to Bar Chocolate- の山下貴嗣。2014年12月に東京・渋谷で立ち上がったクラフトチョコレートメーカー。世界中のカカオ農園へ足を運び、自社工房でカカオ豆からタブレットまでの一貫した工程を自ら行う。
山下は伊藤の問いに答え、自らの思いを話す。
「新卒から7年間、リンクアンドモチベーションで働き、さまざまなクライアントワークを経験しました。いろいろなことをやりましたが、その本質は抽象化してメタ化すると実は同じことに帰着することが多いことを体験したんです。そこで、自分でもなにかやりたいと思ったのがチョコレートでした。日本人の謙虚さや奥ゆかしさは海外の人間からは“意見が言えない日本人”と揶揄されがちですが、僕に言わせれば彼らは意見を言い主張するかもしれないが、言いっぱなしで話が前に進まないことも多い。でも優秀な日本人はきめ細やかな感性で行間を読み、相手を気遣いながらもプロジェクトを前進させ、ゴールに導くことができるという良さがあります。その長所を活かして、日本人ができる民族であることを世界に発信したいと思いました。そこで注目したのが西洋を発祥とするチョコレートです。ヨーロッパで生まれたものを日本の感性で表現し、やがて海外へと進出し、日本人のものづくりを海外の人々と一緒にやったら、もっと面白いことができるのではないかと考えたんです」
日本人ならではのきめ細やかな感性をいかにビジネスにするか。「日本人とデザイン」(幻冬舎)を2019年3月に上梓したばかりのAnyProjects石川俊祐が指名され、答える。
石川俊祐は、2017年にデザインイベント「AnyTokyo」の創立者である田中雅人とともにAnyProjectsを設立。デザイン思考のアプローチを活かしたイノベーション創立メソッドを用いて、プロダクト・サービス・事業を世の中に創出する。
「Minimalは、滑らかさを追求するプレミアムチョコレート業界に、ザラザラとした舌触りのあるチョコレートで果敢にチャレンジしていきました。ザラザラの秘密は、カカオと砂糖のみを使用し、一切余計なモノを省くという引き算の発想から生まれたもので、カカオそのものを体験するチョコレートを作りたかったからなんです。その日本人ならではの削ぎ落とすようなクラフト思考と食べる人への思いやり、空気や行間を読むという能力そのものが日本人とデザイン思考との接点です。
僕はかつてIDEO Tokyoでデザインディレクターをやっていましたが、どうして日本人はみんな面白いことを考えられるのにやらないのかと疑問がありました。以前に僕がいたIDEOを例にすると、もともとシリコンバレーの会社で、楽しく“自分ごと”化する天才の集まりのようなところでした。彼らはアイデアを思いついたら作って世の中に出してみるということを熱狂的に繰り返している人たち。“自分ごと”として熱狂しながら、仲間をどんどん巻き込んでいく。僕自身も、クライアントワークであれ、発注側であるクライアントさんにもチームの一員として役割を担っていただき、彼らの“自分ごと”化を加速させ、受注発注の概念をなくし、目的共有をし、コラボレーションを加速させるのが面白いし、コンセプトの実現に不可欠だなと思いながら日々のプロジェクトに取り組んでいます」
お互いの取り組みを知る一流のクリエイターたちが、共通のテーマについて自らの知見や体験をシェアし、テーマがドライブしていく刺激的なシーンが繰り広げられる。気づけば予定の時間をあっという間に経過し、トークセッションは終了。しかし、今回のSantos Labの醍醐味はこのあとの時間にあった。
濃密なソーシャライジングの場
食事を取りながらの自由な歓談の時間。バイオアーティストであり、現在はGoogle ATAP Project Jacquardのテキスタイル開発兼クリエイティブ・リードを務める福原志保が、西陣織の老舗「細尾」常務取締役でディレクターの細尾真孝に生地のことを尋ねている。ダンシングアインシュタインの青砥瑞人と、Minimalの山下貴嗣は腰を落ち着けて語り合っている。
現代芸術家の立石従寛は、SFCの先輩である脇田玲との久しぶりの再会に話を弾ませている。ビジネスとアーティストの接点に悩んでいたというClarityの古谷聡美はメディアアーティストの後藤映則とお互いの取り組みについて言葉を交わしている。
やがて場をカルティエを象徴するレッドに彩られた地下へと移動しても、彼らの語らいは続く。地下では、ブラジルのルーツを持つサウンドアーティストKAITO SAKUMA a.k.a. BATICがDJとして彼らの五感を刺激している。
主にミレニアル世代へのアプローチを必要とするクライアントに、ブランディング動画の企画・制作から配信までをワンストップで提供するONE MEDIAの明石ガクトは言う。
「僕たちクリエイターは、日常的にお互いが所有するクルマがわかるくらいの近い距離にいながらも、柵に隔てられているかのような微妙な距離感のなかで日々暮らしています。近くにいるようで、実はお互いのビジネスや取り組みについて深く話せる機会は限られているんです。まるでフランス革命期のサロンを思わせるような、語らいを目的としたこのような交流の場は、何年、何十年というスパンで未来に向けて大きな価値のある場だと感じています」
かつてのルイ・カルティエとアルベルト・サントス=デュモンの対話を彷彿とさせるような、才能が交錯し、あらたな何かを生み出す熱気にみちたSantos Lab。この場から生まれたコラボレーションが新たなものづくりへと繋がる期待を感じさせる夜となった。
Photographs by Takuo Arai, Text by Tsuzumi Aoyama