EVENT REPORT #08 BEYOND THE BORDER Kotaro Watanabe × Mizuto Aoto

1904年に誕生した「サントス ドゥ カルティエ」は、航空界のパイオニアであるアルベルト・サントス=デュモンが、飛行中に懐中時計を取り出すのが困難であることを友人のルイ・カルティエに相談したことからつくられた世界初の男性用実用的腕時計だ。

異業種の2人の出会いから現代ではスタンダードとなった「腕時計」という革新的なアイデアが生まれたように、新しい時代のあたりまえは、いつだって領域を超えた場所から生まれてくるのだろう。

7月某日、カルティエはデザイン・イノベーション・ファームTakramのマネージングパートナーでコンテクストデザイナーの渡邉康太郎氏、DAncing Einstein創業者で脳神経発明家の青砥瑞人氏を招き、「Beyond the Border:ものづくりに必要な“越境”とは?」をテーマにワークショップを開催した。

脳神経科学から考える創造性の本質、あたりまえを疑うためのコツ、そして、不確かな時代を切り開いていくために必要なこととは何か。2人の言葉を掛け合わせることで見えてきた、これからのクリエイティブに必要な視点。

ワークショップは表参道にあるTakramの「TOKYO MEETING HUB」にて行われた。キーワードの「越境」をもとに、デザイン、教育、メディア、建築など、さまざまな領域で働く約25人が参加した。

バイアスを壊す前に

青砥:よくイノベーションには「Break the bias」が必要といわれます。ただ、自分のバイアスを壊すのはそう簡単じゃない。バイアスを壊す前に、われわれは自分のバイアスに気づく必要があるのです。脳には無意識的に期待や予測を立てるという習性があり、それによって物事を決めつけてしまう「べき論」が生まれてしまう。「〜すべき」といった思考になったときには、そこにバイアスがあるのではないかと疑ってみることが重要です。

そのものの名前を言わずに語る

渡邉:「それは底面はもつけれど頂面をもたない一個の円筒状をしていることが多い。それは直立している凹みである。重力の中心へと閉じている限定された空間である。それはある一定量の液体を拡散させることなく地球の引力圏内に保持し得る」──これは谷川俊太郎さんの「コップへの不可能な接近」という散文詩の引用で、コップという言葉を使わずにいろいろな切り口からコップの概念を説明しています。

新たな課題に取り組むときに、こうした言語化は重要です。「コップ」でもなんでも、人は名前をつけることによって思考停止してしまう。「それは別の人にとっては、別のシーンではどんなものなんだろう?」と10通りの方法で表現してみる。わかりきった「あたりまえ」をあえて言語化することが、認知バイアスを壊すきっかけになります。

イベントは脳神経発明家・青砥のレクチャーからスタート。近年、脳神経科学界にとって「創造性とは何か?」はホットな研究テーマだと青砥は言う。脳の認知バイアスに気づくためのゲームを交えながら、「脳と創造性」についていまわかっていること、そしてこれからの時代において創造性を育むために必要なことを語ってくれた。「不確かさのなかに楽しさを見出だせる能力は、クリエイティビティを発揮していくうえで非常に重要になってくるでしょう」

大事な擬音語

青砥:人間の脳には大きく3つのモードがあるといわれています。ひとつは無意識な活動を行う「デフォルト・モード・ネットワーク」。考えたり、意識的に注意を向けたりするときに使う「セントラル・エグゼクティブ・ネットワーク」。そして近年になって、「サリエンス・ネットワーク」という状態があることがわかってきました。

これは脳内の、体内の情報を読み取るモードです。「なんかおかしいっすよ」「ワクワクしてます」など、体の内側で起きている状態を察知するために使われます。それらのお知らせは、言語ではありません。モヤモヤ、イライラ、ゾクゾク、ワクワク…われわれもその内側の反応を擬音で表すのには、意味があります。言語にしづらい反応なのです。非言語反応なのです。そんな非言語的な心の声に気づく、そんなサリエンス・ネットワークが、人がクリエイティビティを発揮するためにとても重要なことがわかってきています。

大地はなぜ揺れないのか?

渡邉:ぼくが好きな江戸時代の医者/哲学者である三浦梅園の言葉にこういうものがあります──「地震のときなぜ大地が揺れるかではなく、普段なぜ大地が揺れないかを考えよ」。何か特別なことが起きているときではなく、むしろ平常状態のときの「なぜ」を考える。「あたりまえ」と思ってしまうことにも、常に新しい眼差しを向ける。この重要性を、彼は投げかけています。

Takramのマネージングパートナーでコンテクストデザイナーの渡邉康太郎は「越境と創作」をテーマにレクチャーを行った。自身が手がけた仕事を振り返りながら、越境には「足し算の越境」と「引き算の越境」があるのではないかと渡邉は語る。ネパール発のオーガニック原料を使った化粧品を手がけるラリトプールとともにつくった「Message Soap, in time」は、「石鹸」と「手紙」という出合うはずのないものを足し合わせたことで生まれたプロジェクト。銀座に店舗をもつ一冊だけの本屋「森岡書店」は、本屋から「複数の本が置いてある」という常識を引いたことで生まれたプロジェクトだ。

言葉にならない「声」を聞くこと

青砥:われわれの脳は、言語だけでなく非言語的な情報処理もたくさんしています。脳はそうした情報を、感覚や感情として知らせてくれます。そうした感覚的・非言語的な領域に目を向けるのは、これからの時代において非常に重要になってくると思います。なぜか? 言語的な情報処理は、圧倒的に人工知能が強いからです。人類が人工知能と共存しながらクリエイティビティを発揮していくためには、感覚的・非言語的な情報処理能力を培っていかなければいけないのです。

比喩と想像力のジャンプ

渡邉:よくロジカルシンキングが大事といわれますが、「アナロジカルシンキング」、つまり比喩のように一見「論理的でなはない」思考も、越境するために大事です。似ているものを集めて、自分のなかに心のデータベースをつくっておくこと。それらを並べて、いつでも違うジャンルに連想を飛ばす柔軟さをもっておくことです。物理学者で小説家のC・P・スノーはこう言っています──「熱力学第二法則を知らないなんて、シェイクスピアの作品をひとつも読んだことがないのと同じようなものだ」。

旅行とサウナ

青砥:脳は、場所や時間によってバイアスを受けやすい。そこで、いつもとは違う環境に身をおくことで違う感覚回路、思考回路などが使われ、新しいアイデアを発想しやすくなるというのは、脳神経科学的にも理にかなっています。何年も同じ研究やっていたけどいいアイデアが思い浮かなかったのに、旅行から帰ってきた途端に閃いた、という研究者の話も聞いたことがあります。

これまでぼくが考えた特許を生み出すようなアイデアは、すべてサウナにいるときに生まれています。大事なのは、たくさん考えて、もやもやしてからサウナに行くこと。思考の深いところまでタッチしているからこそ、違う環境に行ったときに頭の中でいろんなことを思い描くことができ、そこで環境差による、普段と違う脳回路を使うことが閃きにつながると考えられるのです。

自然の感銘と発見

渡邉:数学者の岡潔は著書『科学者とあたま』のなかで、「発見の前に緊張と、それに続く一種のゆるみが必要ではないかという私の考え」があると語っています。

「大学卒業後、植物園のなかを歩き回って考えるのが好きだった。何かのことで家内と口論して家を飛び出し、大学の近くにあった行きつけの中国人経営の理髪店で耳そうじをしてもらっているときに、数学上のある事実に気がつき、証明のすみずみまでわずか数分の間にやってしまった。その次は夏休みに九州島原の知人の家で二週間ほど滞在し、碁を打ちながら考えこんでいたあとのことで、帰る直前に雲仙岳へ自動車で案内してもらったが、途中トンネルを抜けてそれまで見えなかった海がパッと直下に見えたとたん、ぶつかっていた難問が解けてしまった。自然の感銘と発見はよく結びつくものらしい」

イベント後半では専門の異なる参加者たちが3人1組でグループを組み、それぞれの悩みをシェアしながら問題を解決するための知恵を出し合った。いくつかのグループにはどんなアイデアが出たかを会場にシェアしてもらった。普段は出会わない業種の人々と話すことで、自らの課題を異なる角度から見つめる機会になった。

不確かさを楽しむ技術

青砥:「rlPFC」と呼ばれる前頭前皮質の一部が、どうもおもしろい働きをしているということが最近の研究からわかってきました。rlPFCの活動量の差が、人がどれくらい「不確かさを探索するのか」の差につながることがわかってきました。実に興味深い脳の活動です。そしてこの脳部位は後天的に育まれると考えられます。あいまいだったり、漠然だったりするような状況に、人はなかなか踏み出しにくいものです。しかしそうした状況に飛び込んで、そのなかで楽しさを見出したり、成功体験を繰返してきた人は、rlPFCが発達し、不確かさに楽しさを、不確かさに行動を取れる人になると考えられます。

明るい諦念、小さな行動

渡邉:Takramではデザインを通してコンサルテーションの仕事をすることが多いのですが、まだ世の中にないものをつくろうとするとき、チームは必ず不安になるものです。そうしたなかでリーダーは、一緒に悩みながらも、「最後にはなんとかなる」と信じられる力、明るい諦念をもっていることが重要だと思います。明るく諦めながら、最後は心配することすら放棄してまっすぐ進む──不確かさそのものを楽しむのも、リーダーシップの一種です。

また「腕立て伏せを1日に1回する」というバカらしいくらいの簡単な目標を立てることでトレーニングを継続できるようになった、というエピソードを読んだことがありますが、悩む前に小さなアクションをとることも大事です。習慣化した行為で自らを変えていく。小さなアクションの積み重ねによって自分をコントロールし、中期的なマインドセットをつくっていくのです。

物事の「いい側面」を見るために

青砥 :人には危険や違和感を察知するための脳機能が充実しています。すなわち、だめなこと、できてないところに注意が向きやすくできています。生存確率を高めるうえではとても重要です。しかし一方で脳は、無意識的にいい点、できている点を探る機能は、後天的に育まれない限り、なかなか活動してくれません。周りを見渡しても、人のできてないところを見つけるのが得意な人はたくさんいますが、逆に人のいいところを見つけることが得意な人は少なくないでしょうか?人の注意は、どうしてもネガティブな要素があるとポジティブな要素に注意が向きづらいのです。

しかし、これからの変化の時代、まさに曖昧や不確かなことに包まれる時代。不確かなネガティブにばかり囚われるのは少しもったいない。少し意識し、たとえ確証のないようなことであっても、そのなかにエキサイティングな部分を見出す──そんな能力を意識して使い育むことがこれからの時代ますます重要でしょう。

世界によって自分が変えられないようにするために

渡邉:最後にみなさんに紹介をしたいのが、ガンジーの言葉です──「あなたがすることのほとんどは無意味であるが、それでもしなくてはならない。そうしたことをするのは、世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないようにするためである」。

これは、デザインやアートを含めた創作活動にも適用できる言葉だと思います。アートやデザインによって世界を変えることはできないかもしれない。その必要もないけど、何かをつくって表現することによって、自分たちが変えられないように、世界に説得されてしまわないようにしたい。自分だけの弱い文脈でも、世に問い続けること──。「越境」と聞くとジャンルや領域を超えることを思い浮かべますが、実は社会のなかで生きることそのものが、完全に一致し得ない「自己」と「世界」の大きな越境であるかもしれない。その間にある弁のようなものを閉じたり開いたりすることで、ぼくらは何かを表現しているのかもしれません。

ワークショップ終了後にはカクテルパーティが行われた。さまざまな業種、バックグラウンドの参加者が領域を超えて混じり合い、互いに刺激し合う時間となった。

Profile

渡邉康太郎
Takramマネージングパートナー、コンテクストデザイナー。個人の小さな「ものがたり」が生まれる「ものづくり」をテーマに、花と手紙のギフト「FLORIOGRAPHY」や一冊だけの本屋「森岡書店」を手がける。
https://ja.takram.com
青砥瑞人
脳神経科学者。DAncing Einstein創業者兼CEO。米国UCLA神経科学学部卒業後、2014年より現職。「ドーパミン(DA)が溢れてワクワクが止まらない新しい教育」の創造を目指し、脳神経科学を人の成長を支援する分野へ応用する。
http://da-einstein.com/