モンゴルの若きドキュメンタリー写真家が活写する世界がまだ知らないこの国の日常

インジナーシさんは同世代のミュージシャンに友人が多い。一杯飲もうと思ってウランバートル市内のレコード・バーに入ったら、知り合いのドラマーがソファーですやすやと眠っていたという(2017年)

インジナーシさんは同世代のミュージシャンに友人が多い。一杯飲もうと思ってウランバートル市内のレコード・バーに入ったら、知り合いのドラマーがソファーですやすやと眠っていたという(2017年)

ここ数年、モンゴル国に魅了され、何度か足を運んでいる。

中国の北方に位置し、ユーラシア圏の東端にある高原の国モンゴルといえば、広大な草原に羊や馬が群れる、のどかな光景を思い浮かべることだろう。

それは間違いではないが、21世紀になって首都ウランバートルで生起した都市的現実と世界に稀なる草原世界が複雑にからみ合うモンゴルならではの面白さが惹きつけるのだ。今日のモンゴルには都市と草原という2つの異なる顔があり、それを知らずしてこの国の魅力を語ることなどできないのである。

モンゴルの人気ラッパーの「113」さんを撮影する許可を本人からもらい、彼の家を訪ねた。撮影を始めると、彼はタトゥーだらけのいかつい身体を、壊れて動かなくなった冷蔵庫に収めたままレンズを見つめた(2022年)
モンゴルの人気ラッパーの「113」さんを撮影する許可を本人からもらい、彼の家を訪ねた。撮影を始めると、彼はタトゥーだらけのいかつい身体を、壊れて動かなくなった冷蔵庫に収めたままレンズを見つめた(2022年)
凍りつくリムジン。ニューイヤーの深夜帯に撮影したもので、このときのウランバートルの気温はマイナス40度だったという(2008年)
凍りつくリムジン。ニューイヤーの深夜帯に撮影したもので、このときのウランバートルの気温はマイナス40度だったという(2008年)

2つの異空間を往来する写真家

昨年の夏、モンゴルを訪ねたとき、1人の若い写真家と知り合った。彼が活写する現代モンゴル社会のリアルな日常は、筆者を大いに興奮させた。古臭いモンゴルのイメージを一新し、現状認識を心地よく更新させてくれたからだ。

モンゴルの写真家インジナーシ・ボルさんは、1989年ウランバートルの生まれ。国立ラジオテレビ大学在学中の2007年からモンゴルの写真家集団「ガンマ・エージェンシー」に参加して本格的に撮影を学んだ、主にドキュメンタリー写真を手がける人物だ。

ウランバートル市内の国立デパートのそばを歩く白い帽子を被った女性。ちょっとミステリアスな雰囲気があり、本人も気に入っている作品。実は知り合いの洋服店オーナーで、その日彼女を被写体に街角で撮影していたうちの1点(2015年)。
ウランバートル市内の国立デパートのそばを歩く白い帽子を被った女性。ちょっとミステリアスな雰囲気があり、本人も気に入っている作品。実は知り合いの洋服店オーナーで、その日彼女を被写体に街角で撮影していたうちの1点(2015年)

2016年には、ニューヨークの国際的な写真家集団であるマグナム財団のフェローシップを獲得。100カ国以上の候補から上位15人のファイナリストに選ばれている。

彼の作品は『ナショナル ジオグラフィック』や『タイム』などの海外メディアでも掲載された。2022年、大阪の国立民族学博物館で開催された、日本・モンゴル外交関係樹立50周年記念特別展「邂逅する写真たち−モンゴルの100年前と今」では、現代モンゴルの光と影を鮮烈に捉えた作品が多数展示された。

筆者が彼の存在を知ったのも、このときだった。

インジナーシさんの作品の魅力はストリートフォトと人物ポートレイトにある。ウランバートルの華やかなクラブシーンや路地裏を歩くときも、長距離バスに何十時間も乗ってたどり着いた草原の村を訪ねるときも、彼はカメラを手離すことはない。

ウランバートルでクラブDJをしている友人の男性の血筋は複雑で、祖先はモンゴル人他さまざまな地域のシルクロード商人のハイブリッドだという。背後の写真は20世紀前半、ロシア人が撮影したモンゴル人貴族の肖像(2016年)
ウランバートルでクラブDJをしている友人の男性の血筋は複雑で、祖先はモンゴル人他さまざまな地域のシルクロード商人のハイブリッドだという。背後の写真は20世紀前半、ロシア人が撮影したモンゴル人貴族の肖像(2016年)
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文=中村正人、写真=インジナーシ・ボル、取材協力=大西夏奈子、山本千夏、HISモンゴル

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