蘭州拉麺は中国西域の甘粛省蘭州で生まれた牛骨スープ麺だ。水で練った小麦粉の固まりを軽快に伸ばした手打ち麺で、麺には特有のコシと食感があり、さわやかなスープの酸味を楽しむハラール料理(イスラム教で許される食材でつくる料理)である。
その起源は清朝後期の蘭州で、馬保子と傑三という親子が創案したスープが香り豊かと評判になり、広まったとされる。中国には回族というイスラム教徒が全土に広く住んでいることから、筆者は各地で蘭州拉麺を食べたものだ。中国の料理は油っこいので、さっぱりしたスープ麺を口にしたくなるからだった。値段も安く、ちょうど立ち食いソバのような感覚である。
先日、神戸を訪ねて南京町や三宮の繁華街を歩いたら、狭い一帯に5軒の蘭州拉麺の店が見つかったのには驚いた。「甘蘭牛肉麺」や「一天一面」といったフランチャイズ展開している店(前者は東京にもあるが、後者は関西でしか見たことがない)もあり、神戸の地元グルメスポットとして知られる三宮センターの地下街にも、蘭州拉麺が食べられる店が2軒あった。

東京でもそうだが、いくら中国籍の住民が増えたとはいえ、蘭州拉麺は出店過多なのではないか。また、ラーメン店の廃業件数の増加が報じられる時代に、なぜこの中国由来のご当地ガチ中華麺が増えたのだろうか。それらの疑問を解くべく、今回はその背景を探ってみたい。蘭州拉麺を広めたのは蘭州人ではない!?
日本に初めて本格的な蘭州拉麺の店が現れたのは、2017年8月のことだ。よく知られているのは、東京の神保町で日本人が始めた「馬子禄蘭州牛肉面」(同年8月22日)だと思うが、同じ時期に池袋の「火焔山蘭州拉麺」(同年8月10日)、そして埼玉の西川口に「蘭州料理 ザムザムの泉」(同年8月25日 現在は京都に移転)がオープンしている。
実に興味深いのは、時期の一致なのだが、馬子禄の料理長の清野烈さんに聞くと「別に示し合わせたわけではなく、たまたま同時期の開店になった」そうだ。筆者がたまに訪ねるのは「火焔山蘭州拉麺」だ。2017年の秋頃、池袋の裏路地を歩いていて偶然見つけたので、印象に残っている。その後、何回か通ったが、客層は中国の若い世代が多く、ときにモデルのようなウイグル人女子がカウンターに座っていることもあり、楽しい雰囲気の店である。



