WOMEN

2025.03.26 13:30

妹島和世×篠原聡子「やっとわかってきた」師の教え

妹島和世(写真左)・篠原聡子(同右)

妹島:正直、私は女だからどうとか考える余裕もないまま50代半ばまではやってきたんですね。でも以前、イタリア大使とお話ししたときに「あなたはほかの人よりも発言するチャンスに恵まれているのだから、女性として言えることを言うべき」と助言されました。当時はあまり腑に落ちなかったのですが、何年かたって確かにそうかもしれないと考えるようになって。

篠原:働く女性の数自体は増えましたが、学長会議や管理職の集まりに出席すると「まだまだ男社会なんだな」と痛感させられますからね。

妹島:一昨年、ジェーン・ドリュー賞(優れた女性建築家に贈られる賞)を受賞したのもそんな心境の変化からです。私も先人の活動に勇気づけられてここまでやってきたように思います。建築物のように、いろいろな人や世の中とつながっていく一部に自分がなれたらと、今になって思うようになりましたね。

篠原:「人生100年時代」ってきっとそういうことなのだと思います。健康で自立して生きられる期間なんて限られている。誰もが、誰かのお世話になり、誰かのお世話をして生きていく。公子先生のおっしゃっていた「自立」の意味がようやくわかってきた気がします。

──今後についてはどう考えていますか?

篠原:私はひとまず、学長としての残り3年半の任期の間に日本女子大学のリデザインにめどをつけたいです。今年4月には食料学部を開設し、経済学部(仮称)の開設構想も27年に控えています。自分がこの大学で得た恩恵や経験を、今の社会にあったかたちで学生たちにきちんと引き継がなくては、と責任を感じています。

妹島:私も、今館長を引き受けている東京都庭園美術館を、街や社会のなかでより意味のある場所にできるよう努めていきたいです。それからもちろん、今まで通り建築について考えつくっていきたいです。それが次の世代の女性の方々に何か役立つものであればと思います。

篠原:そうですよね。それにしても、長いお付き合いだけれど、いつも仕事の話ばかりだったから、妹島さんとこんなふうに話したのは初めてでしたよね。

妹島:本当に!新鮮で、楽しかったです。


妹島和世を知るための世界的建築

金沢21世紀美術館(2004年)(C)SANAA
金沢21世紀美術館(2004年)(C)SANAA
ニュー・ミュージアム・オブ・コンテンポラリー・アート(アメリカ・ニューヨーク、2007年)(C)Dean Kaufman
ニュー・ミュージアム・オブ・コンテンポラリー・アート(アメリカ・ニューヨーク、2007年)(C)Dean Kaufman

1987年に妹島和世建築設計事務所を設立、95年には西沢立衛とともに共同設計事務所SANAA(サナア)を立ち上げた妹島。これまでに日本建築学会賞*、ベネチアビエンナーレ国際建築展金獅子賞*、プリツカー賞*、紫綬褒章、ジェーン・ドリュー賞など数々の受賞歴をもつ(*はSANAAとして)。妹島の建築は、周囲の環境と調和する柔らかな空間設計が特徴といえる。建造物と自然、内部と外部の境界を曖昧にするデザインが多く、開放的で流動的な空間構成が魅力である。

篠原聡子の「研究との両輪で生まれた」建築

SHAREyaraicho(2014)
SHAREyaraicho(2014)
サンカク(2016)(C)山田薫
サンカク(2016)(C)山田薫

1986年に空間研究所を設立したのち、日本女子大学の教員になった97年からは、教育者と学長、建築家の三足のわらじを履く。実務家教員として「設計」と「調査」の両輪で活動を続けてきた。戦後初期の都市型大規模団地である赤羽台団地をはじめ、ニュータウンの調査に取り組み、「住まう」ことが「人と人の関係をどう変えるか」に着目した建築を手がける。2014年にSHAREyaraicho(東京都新宿区)が日本建築学会賞を受賞。

文=阿部花恵 企画・編集=南 麻理江(湯気) 写真=若原瑞昌

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