──建築業界で働き始めたころに女性として感じた苦労や壁などはありましたか。
妹島:私はあまり感じませんでしたね。ただ、それまでは女子大で気楽に自分の意見を言っていたのが、伊東豊雄さんの設計事務所で働くようになってからは「伊東さんがどうお考えになるか」という思考に陥った時期がありました。そう要求されたわけでもないのに、自分で勝手にそう思い込んでしまった。その壁を乗り越えるのが大変だった記憶があります。
篠原:私も最初のころは「世の中って結構優しいな」と思っていましたね。院修了後は香山壽夫先生の香山アトリエにお世話になったのですが、手取り足取り教えてもらったおかげで建築の楽しさを知りました。ただ、後から入った男性のほうが先に仕事を任されるとか、事務は女性が担当するとかはやはりありましたね。男性ばかりのなかに女性は建築家の私ひとりでという現場では、指示を出しても「おねえちゃんは紙と鉛筆でお金もらえるからいいよね」なんてばかにされることもしょっちゅうで。
そういう場面でどう対応したかというと、相手の顔を無言でじっと見るんです。力ではかなわないのがわかっているので、じーっと沈黙してひたすら待つと、大体相手は沈黙に耐えられなくなります(笑)。
──篠原さんは20代で結婚・出産を経験されていますね。
篠原:私は勢いで産みましたが、迷いはありませんでした。「自分ひとりで育てなきゃ」と思っていませんでしたし。ただ、私が自然にそう思えたのはみんなで子どもの面倒を見るのが当たり前の田舎のコミュニティで育ったからだろうなとは思っていて、今「子育てはこうあるべき、母親が主体でやるべき」という同調圧力に苦しむ方々はつらいだろうと思います。うちの息子は幸い、ほぼ私の母が面倒を見てくれ、家族には「カッコウの托卵」と言われています(笑)。
妹島:そうそう、あのころは確か「週末は子どもに会いに行くんだ」と言ってましたよね。私は、子どもをもたない人生になりましたが、周りの建築を志す若い人たちと話すときには、「子どもを産むのなら大学院生のときがいいと思う」とアドバイスしています。建築家として独立後にという選択もありますが、私のようにひとりで事務所を始めると足を止めるタイミングが難しい。それならば学生のときに、周囲の人々の手を借りながら一緒に育てていくほうが絶対にいいと思って。と言いつつ、なかなか採用してくれる人がいないのを見ると、簡単ではないんでしょうね。
今になって思うこと
──仕事の醍醐味はどんな所ですか。
妹島:大勢の人たちとディスカッションしながら計画をつくり、それが何もなかったところからストラクチャーとして立ち上がる、そういうときにいちばん面白さを感じます。それまで考えてきたことが、こういうことだったのか、とわかり始める。それから完成した後に、実際に使われていくなかで変化していくのを見るのもすごく楽しいです。金沢21世紀美術館をつくったときもそう。みんなでどんどんつくり出していく、あの感じが私は好きですね。
篠原:わかります。さまざまな条件を組み合わせながら化学反応を起こしていくさまが建築の面白さですよね。私が学長を務める日本女子大学の創立120周年記念プロジェクトに際しては妹島さんに目白キャンパスのグランドデザインをお願いしたのですが、学内から出る山のような要望をまとめ、調整しながら、同じゴールを目指しました。この過程自体もまたひとつのデザインなのかなとあらためて感じましたね。