『Forbes JAPAN』2025年5月号の第二特集は、米『Forbes』注目企画である「50 OVER 50」の日本版。「時代をつくる『50歳以上の女性50人』」たちのこれまでの軌跡と哲学、そして次世代へのメッセージを聞いた。
『Forbes JAPAN』「50 OVER」特別対談は、日本女子大学の同窓生でもあるおふたり。世界の第一線で活躍している建築家、そして教育者であるふたりが今、語る「師の教え」と生き方とは何か。
日本人女性として初、女性としてはザハ・ハディドに続く2人目として建築の最高権威「プリツカー賞」受賞を果たした建築家の妹島和世。国内外の建築関係者で、彼女の名前を知らない者はいない。同じく建築家であり、妹島と自身の母校である日本女子大学で現在学長を務め、大学改革を推進する篠原聡子。建築家であり、教育者でもあるふたりは81年、83年に同大の同じゼミを卒業した同窓生だ。そして、同じく『Forbes JAPAN』「50 OVER 50 2025」に選出されている。1970年代後半から80年代の女子大で、ふたりは何を学び、何を決意したのか。建築家としてふたりがたどった道、人生の岐路、そして「今だから言える」こととは。
──おふたりは日本女子大学大学院の同じ研究室で建築を学ばれていたそうですね。
妹島和世(以下、妹島):私が修士2年生のときに篠原さんが学部の4年生で、高橋公子先生の研究室で一緒でした。篠原さんたちの代はキラキラの才能をもった方々が大勢いましたね。
篠原聡子(以下、篠原):キラキラしていたのはむしろ妹島さん。在学中からコンペを取ったり、建築の勉強会を主催されたりしていましたよね。公子先生は当時から一貫して「設計者を育てたい」とおっしゃっていたのですが、「ああ、妹島さんみたいにすればいいんだな」と学びました。
妹島:私にとっては公子先生こそがロールモデルでした。建築を学ぶ女性がとても少ない時代に建築家として活躍されていた公子先生から、「結婚して仕事を辞めるのだったら、私は結婚式に出席しないからね」と卒業式で言われたことをよく覚えています。
篠原:「三尺下がって師の影を踏まず」の時代だったこともあって、公子先生は本当に厳しかった。すごく優しくて、すごく厳しい。あの時何度も論文や提案を突き返されて縮み上がった経験があったから、社会に出てから怖いものはありませんでした(笑)。
