FILE 03 21歳で解体業を立ち上げ、日本の3K現場を支える苦労人
ユージェル メメット さん トルコ出身雨上がりの春の一夜、埼玉県川口市のホールは熱狂に包まれていた。ステージでノリノリに歌うのは、来日した“クルディスタン歌謡の帝王”ホザン カワ。今年2月にトルコ、シリアで起きた大地震の被災者支援のチャリティコンサートで、会場には約500人の在日クルド人が詰めかけた。
クルド人は「国をもたない世界最大の民族」といわれる。古くから中東の山岳地帯に住んでいたが、20世紀になって勝手に国境線が引かれ、トルコ、シリア、イラン、イラクに分断されてしまった。のみならず、それぞれの国でクルド人は迫害されてきた。難を逃れて世界各地に移り住んだ人も多く、日本では埼玉の川口市や蕨市を中心に約2000人のクルド人が住んでいる。
さて、コンサートの開会と閉会の挨拶でマイクを握ったひとりがユージェル メメットさん。解体工事の会社を経営する実業家で、クルド人コミュニティのリーダー的存在だ。壇上にずらりと並ぶお祝いの花のなかにも、メメットさんの会社「ROJAVA」の名札を見つけることができた。
メメットさんは16歳で単身日本にわたってきた。「大学どころか高校だって1年しか行ってないよ」と笑う。「だからこそ、ここで一番になろうと思った」。その半生をあらためて聞いた。
故郷はトルコ東部のパザルジク。クルド人が多く住む山あいの村だ。村人の多くは牧羊で生計を立てている。夏が来ると羊を連れて高原へ行き、4カ月過ごして秋にまた村に戻ってくるのだとか。
子どもたちは家ではクルド語、学校ではトルコ語とふたつの言語を使い分ける。かつては公の場でクルド語を話すことが禁じられており、いまも同化政策が続いている。メメットさんが「クルド人は勉強するチャンスがない」と言うので、経済的な理由かと思ったらそうではなかった。
「政府は、クルド人には何も知らないままいてほしいわけ。もしクルド人が勉強したら『お前はテロリストか』と言われちゃう」
メメットさんは肩をすくめた。極端に言えばクルド人は、勉強しないで羊飼いとして生きるか、勉強して当局からクルド独立の活動家と見なされるかの2択だというのだ。
「だから日本に来た。あそこには戻りたくないって気持ちがずっとあった」
16歳のメメット少年ができる仕事は限られていた。ドアをつくる工場、ケバブ屋さん、建設関係、リサイクル工場……。仕事を転々とする一方で、メメットさんは自身の好奇心がのびのびと羽ばたくのを実感していた。
「トルコと違って、日本では自分で調べて勉強できる。たくさん本を読んで日本語の読み書きができるようになったよ。2009年ごろからはスマホをもったんで、海外のニュースもよく見るしね」