FILE 04 500g1200円のブラジル原産唐辛子で復興支援したい!
鴇田ミリアン由美子 さん ブラジル出身「青く光るちょうちょうが竹藪から出てくるのよ。ものすごくきれいなの」
ミリアンさんは弾むように言った。ブラジルのサンパウロ郊外スザノ市「福博村」で過ごした幼少期の思い出だ。福博村は1931年にできた日本人入植地。ミリアンさんがいたころは約1000人の日系移民が暮らしていた。自然豊かな農村で家の近くにモルフォチョウがいたという。
父方の祖父母は熊本、母方の祖父母は群馬と宮城からブラジルにわたった。
「うちのじいちゃんは苦労しながら植木や花を育てて、それを市場で売っていました」
祖父は試行錯誤を重ねてグラジオラスやツツジの栽培に成功した。
ミリアンさんも幼いころから苗木の世話を手伝っていた。大学でも農業を専攻するつもりだったが、お母さんに「建築家になれば」と言われて建築学科に入り直した。そして大学卒業後の1995年、ミリアンさんは仙台に留学する。
「宮城県にルーツがあるから東北大学の大学院がいいなと思って。宮大工の仕事や古い日本家屋が大好きでね」
建築史を研究し、将来は日本風の建物と庭を手がける建築家になるつもりだった。現場経験を積もうと仙台の造園会社に就職し、「そろそろブラジルに戻ろうかと思った時に夫に出会った」とか。結婚後は名取市にほど近い仙台の袋原に住み、子育てをしながら地域に根を張っていった。
「名取市の国際交流協会がやっていた日本語教室に通って。そこから輪が広がって、いまでは多文化共生支援部の副部長をしています。ほーんと、ご縁って不思議よね」
ミリアンさんはおおらかな笑顔で言った。
そして2011年3月11日がやってくる。お米を買い、息子を幼稚園まで迎えに行く途中の信号待ち。その瞬間、東日本大震災に襲われた。
「ビルが倒れそうなぐらい揺れて、信号も消えちゃって、もうびっくりして……」
巨大地震の直後、津波が沿岸部を襲い、名取市閖上地区では海から1km以内の木造住宅がすべて流失した。幸いミリアンさんの家は無事だったが、同じ幼稚園に通う子のご一家が犠牲に。
「ほんとにショックでした。しばらくして家を失って仮設住宅に入った方たちがさびしい思いをしているって聞いてね。友達から『仮設を訪ねて、おしゃべりするボランティアをやらない?』って誘われてそんな活動をするようになったんです」
柔和でフレンドリーなミリアンさんの訪問で、きっと多くの人の気持ちがほぐれたことだろう。