「文科省の試験に落ちてがっかりしたけど、そういうとき僕らは『アッラーには別の計画があるのかな』と考えるんですよ」
という話が面白かった。すべてはインシャアッラー(神が望めば)。イスラム教徒は必要以上に悩んだり落ち込んだりしないのだ。もし文科省の奨学生として来日していたら国立大学を出て大企業に勤めていたかもしれない、でもアッラーの計画はそうじゃなかったと言ってタレックさんは笑った。「会社に勤めて給料をもらう働き方は自分にメリットがあるだけでしょ。でも自分でビジネスを始めれば、かかわる人みんなに仕事やお金を生み出すことができると考えました」
就職活動はせず、大学4年生の後半から起業準備を始めた。イエメンと日本の架け橋になる仕事として選んだのはコーヒーの輸入販売。イエメンにいるお兄さんが生産者との窓口になり、タレックさんが販路を築く、二人三脚のビジネスだ。「コーヒーを選んだいちばんの理由は僕自身が大好きだから。子どものころはお父さんが毎朝コーヒーを入れてくれました」
イエメンはモカコーヒー発祥の地。コーヒー栽培の歴史は700年ともいわれ、かつてはイエメンに最大の利益をもたらす輸出品だった。しかし近年はさまざまな問題を抱えている。
グローバルな産地間競争もそのひとつ。ブラジル、インドネシア、エチオピア産などに比べてイエメン産は割高だ。
「熱帯だと1本になる実の量も多いし、1年に何度も収穫できるんです。でもイエメンのコーヒー畑は乾燥した高地。年1回しか実らないし、ハンドピックで収穫するから価格競争ではとても勝てません」
とタレックさん。売れないコーヒー豆は農家の倉庫でいつまでも眠ることになってしまう。それで数十年前からイエメンのコーヒー畑は次々とカート畑に変わっていった。覚醒植物であるカートは現金化しやすいのだ。ただし栽培に大量の水を使う。カート農家が増えるほど国土の砂漠化が進み、いまでは大きな社会問題になっている。
「丁寧にコーヒーを育ててそれでちゃんと利益が得られれば、それが農家にとっても土地にとってもいちばんいいんです」
独特の環境でゆっくり育つイエメンコーヒーはフルーティな酸味をもつ。家族規模の小さな生産者が多く、山ごとに味が変化する繊細さも面白い。タレックさんは100g1000〜2300円で豆を販売し、高くても質のいいものを求めるコーヒー通に喜ばれている。
かつては「イエメン産」と銘打っておきながら他産地の安い豆を混ぜて売っていた業者もあったらしい。
「だからぼくの最初の仕事は、みなさんのイエメンコーヒーに対する間違ったイメージを変えてもらうことです。本当の味を知ってもらいたい」
その思いに貫かれて、創業からもうすぐ4年を迎える。自分でビジネスをするようになって、お金の価値観がガラッと変わったという。
「家は小さくていいし車もいらない。この仕事を続けていくことが大事だから、なるべく無駄遣いしたくないんです。まだまだ赤字ですけど頑張ります」
タレックさんは真剣な表情でそう言うと、時間を確認してほほえんだ。
「さて、そろそろ日没です。これから妻とイフタール(断食した日の日没後最初の食事)をしますので、一緒に行きましょう!」