相川先生のアドバイス
外国人名の同姓同名の別人に、誤ってメールを送ってしまった、という百瀬さんの体験。この体験から百瀬さんは「ビジネスのフィールドが世界規模になった今は、同姓同名の人が居るから気を付けるべきだ」という気づきを得たのかと思いきや、百瀬さんが得たのは、「よく知らないものは、とかく一意に(ユニーク)に見えてしまう、という気づきと反省」だったとは、私の予想を超える意義深い認識です。
百瀬さんの話を読んで、「確かに、よく知らないものは、ユニークなものだという思い込みは、高い頻度で繰り返される思い込みの一つだ」と気づかされました。
私たちの頭の中には、これまでの人生で溜め込んだ、さまざまな「情報のかたまり」があります。多種多様な、さまざまな「情報のかたまり」があるにもかかわらず、どの「情報のかたまり」の中にも、まだ組み込まれていない情報に初めて接したなら、その情報がユニークである確率は高いです。ですから、「よく知らないものだから、ユニークなものだ」という判断は、たいてい、まちがえではありません。
それでも「よく知らないものだから、ユニークなものだ」が、誤った思い込みになってしまった場合は、「よく知らないもの」という前提の方に原因があります。「よく知らない」のは、自分だけかもしれないのです。ほかの人たちは、よく知っていて、自分だけがよく知らないにもかかわらず、「自分がよく知らないこと=ほかの人たちも、よく知らないことだ」という前提が、まちがえの元です。
自分がよく知らないものでも、ほかの人たちが、よく知っていることならば、ユニークなものではない確率は高いのです。
「自分がよく知らないこと=ほかの人たちも、よく知らないことだ」という前提を生む心の働きは、「自分がよく知っていること=ほかの人たちも、よく知っていることだ」という前提も生み出します。
私たちは、「自分が知らないことは、ほかの人たちも知らないことであり、自分が知っていることは、ほかの人たちも知っていることだ」という前提に立ちやすいのです。「自分の考えや信念や行動は、多数の人たちと同じだ」という前提は、要するに「自分は多数派に属している」という前提です。
実際は、逆に、自分が知らないこと/知っていること、思っていること/思ってもいないこと、考えていること/考えていないことは、少数派かもしれないのです。