島さんの場合も、驚きの信号を2度も受け取ったので、新しい価値観が沁み込むまでには時間がかかることを学ぶことができたのですから、良い体験でした。大切なことは、驚きや困惑を避けることではなく、驚きや困惑を体験した後に、新しい情報を素直に取り入れることです。新しい情報を取り入れるときに、心的イメージを使うと効果的である、と言いたいのです。
話を戻します。2つが1つになってできた新しい「情報のかたまり」には、以前のそれぞれの「情報のかたまり」の痕跡が残っていて、古い痕跡で物事を判断したり、感情的に以前の差別意識が頭を持ち上げたりしますが、時間が経過し、さらに新しい情報や体験が加われば、やがて古い痕跡は消えて、新しい「情報のかたまり」が、新しい価値観を醸成します。
それにつれて古い偏見や差別意識が消えていきます。このような変化は、一人の人間の頭の中で起こるだけでなく、一つのグループや社会全体の中でも起こる変化です。
それにしても「セーラー服」は、性別の観点からして、不思議な服です。なぜなら、セーラーは、男性の職業であった船員や水兵のことを意味していて、欧米では、セーラー服は海軍の軍服だったのですから。それが、なぜ日本では女生徒用の制服に採用されたか不思議です。
セーラー服が女生徒用の制服に採用された日本の男性は(女性も?)、セーラー服が好きですね。「セーラー服と機関銃」というタイトルの映画が、1981年に公開されてヒットしました。
平成生まれの人たちはこの映画を知らないかもしれませんが、昭和生まれの私は、この映画のタイトルを見た当時、「セーラー服」という、女生徒だけが着る制服の名前と、「機関銃」という、男性や暴力団を象徴する武器の名前を対比させていて「おもしろいタイトルだな」と思いました。
当時は、男性向けのポルノ業界では「セーラー服もの」が一つのジャンルを形成していましたから(今も?)、なおさら「セーラー服と機関銃」と聞いて、私は「おもしろい」と思ったのかもしれません。「美少女戦士セーラームーン」も、セーラー服を着た美少女と「戦士」の組み合わせで関心を惹いていると、私は思っています。
セーラー服+スラックスの、性別を超えた制服が当たり前の世の中になれば、つまり、新しい「情報のかたまり」が、新しい価値観を醸成すれば、「セーラー服と機関銃」や「美少女戦士セーラームーン」に類するタイトルは、人々の関心を(とくに男性の歓心を)惹くことはなくなるでしょう。