2つめは、2万円のディナーもやり方によってはリーズナブルに提供できる、ということです。安さを目指さないにしても。
人間性のサステナビリティとは、人と人との繋がりの循環だ
阿部: アリスは、色々な選択肢があると記しているわけですね。ところで高津さんは、この本は「人間性のサステナビリティ」について語っていると仰いました。どのような背景からこの言葉が生まれたのでしょうか。高津: 「心身共に健康であること」を指します。肉体的に加えて精神的充足感を得ていることや、人との繋がりを持っていること。
この本で感じたのは、アリスが従業員やお客さん、生産者の人達と豊かな人間関係を築いていること。ファストフード店でスマホで注文して、従業員もお客さんもお互いを認識しない行為は、人間として本来サステナブルでないのです。
阿部: 海士町(あまちょう)に住んでいて感じるのは、全てにおいて顔が見える安心感です。どの漁師さんが、どのようにしてこの魚を取ってきたか、を認識できる。あるいは、シェフは普段どのように考えながら料理を作っているのか、がわかる。自分のやったことが誰かの役に立ったりすることが、大切です。
「便利」と「豊かさ」、どちらが大事か?という論議
阿部: 参加者の土井さんから「海士町(あまちょう)には、ファストフード店はありますか?」という質問がありました。ファストフード店もコンビニもないです。スーパーもなくて地元の商店があるのみです。24時間営業のコンビニがない代わりに、24時間いつでも採っていいよ、と言ってくれる畑のおばちゃんがいます(笑)。小野寺: 海士町で、地元の商店に食料品を買いに行った時にびっくりしたのが、店のお母さんに「何人で来たの?」と聞かれたことでした。
買い物客になぜ人数を聞くのか、と思いながら「4人です」と答えたら、4人分の干し柿とお茶が出てきて(笑)。また、漁港にカンパチを買いに行ったら、買った魚の倍以上の値段がしそうなほど大量にイワシをいただいてしまったり。便利ではない土地ですが、有り余る幸せと豊かさを感じました。
本の中にも、印象的なエピソードが紹介されています。コロンビア大学法学部の教授ティム・ウーがNYタイムズ紙に寄稿した記事で、タイトルは『利便性の独裁について』。彼は「利便性は世界で最も理解されず、過小評価された勢力だ」と書いています。
「仕事という仕事が簡単になったことで利便性への期待は加速した。すべてのものが簡単でなくてはならない、そうでなければ放っておけ、という圧力にさらされている。
即時性に甘やかされた私たちは、昔のようなレベルの努力と時間を要する仕事にイライラする。列に並ばなくてもスマートフォンひとつでライブのチケットが買える時代に、投票するために並ぶ時間など論外なのだ。
便利教の崇拝は、難しいことが人間の経験として大切だという認識を許さない。利便性の中にあるのはただ目的地のみで、旅が欠如しているというのに。
自ら山を登る行為は、頂上までトロッコで運ばれるのとは本質的に違う。私たちは、成果至上主義の人間に成り下がろうとしている。自分たちの人生経験をすべて、トロッコで運ばれるだけにするリスクにさらされているのだ」(本書30ページ)
阿部: すごく共感します。高津さん、今の「便利教」の話について、どうお考えでしょうか?