前編では、長教授が「人間の安全保障」を始めとする分野で活躍するまでの軌跡と、現場で発揮するリーダーシップなどについて紹介したが、後編では日本のリーダーが抱える課題や、現代社会および市場で「人間の安全保障」が担う役割について議論を繰り広げた。
批判ではなく、提言する懐の深さ
──先日、あるリーダーの方が面白いことをおっしゃっていて。部下を「信頼はしているけど、信用はしていない」と。社員を頼るし、信頼もしているけれど、何かあったらリーダーである自分自身が責任をとるよ、という意味で。それ、理解できます!全部信用して丸投げしてしまう行為って「放棄」だと思うんです。
今のお話に関連して思い出すのは、NHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」という番組で耳にした、演出・振付家のMIKIKOさんの言葉です。彼女は「自分を信じ、相手を信じ、その相手を信じた自分を信じる。こだわるところと、委ねるところとの線引きをできるのがプロフェッショナル」と語っていました。一つのリーダー像だと思います。
難民を助ける会の創設者の相馬雪香は、1979年に67歳で会を設立し、96歳で亡くなる直前まで会長を務めていたのですが、口癖は「誰が正しいかではなく、何が正しいかを考えなさい」でした。
晩年、対人地雷の廃絶活動で日本政府と対立した時でも、「最後の責任は、このばあさんが取るから」とまだ30代だった私の背中を押してくれました。「やるべきことをやりなさい」と。通常では答えの出せない問題でも、責任をとりながら答えを出していくのがリーダーの仕事だと思います。
私は2011年から福島県相馬市の復興顧問委員会の委員を務めましたが、相馬市の立谷秀清市長は出会った瞬間から、平時ではなく非常時のリーダーだと感じました。そういう意味では、ウクライナのゼレンスキー大統領も、戦時=非常時の大統領だと思います。
──今ウクライナのお話が出ましたが、ウクライナの痛ましい問題については、どうご覧になりますか?我々はウクライナ問題をどう捉えて、どういう形で向き合えばいいのでしょうか。
あらゆる意味で起きてはならなかった事態です。昨日まで私達と同様の日常を送っていた人たちの生活が、あのような形で破壊され、明らかな戦争犯罪が繰り返されている。多くの命が失われ、未曽有の規模で難民や国内避難民が出ています。
例えば今、ウクライナで起きていることが、近い将来、たとえばハリウッドで映画化されたなら、映画はエンターテイメントなので、ジ・エンドは戦時下の人と人との助け合いとか、美談に終わるかもしれない。美談には、救いがあります。