ゼロサムの市場で、ゼロの人に思いを馳せる |経営のヒントになる「人間の安全保障」活動とは(後編)

でも現実には、救いなど存在しない。拷問の末、虐殺された自分の大切な家族の遺体を目にしたご遺族の時間は、そこで止まってしまいます。生物としての生はその後も続いていくかもしれないけれど、その方の人としての生はある意味でそこで終わり、二度と再び、元の自分には戻れない。

今の世界を見ると、戦争を続けるための行動をする、援助をするリーダーはたくさんいます。しかし、日本の政治家も含め、戦争を終わらせるための努力をしているリーダーは少ないのではないでしょうか。今回のロシアはあまりに極端な事例ですが、日本のリーダーには、欧米のリーダーとは異なる選択肢があってもよいように思います。

──Forbes JAPANをご覧いただいているリーダーの方々は、国内では成功していらっしゃるけれど、これから海外に向けて、と考えた時には苦戦する場面もある。その理由として、日本ではまだまだ近代思考が続いていることが挙げられます。日本が持ち続けているYesやNoをはっきりさせない曖昧性が実は重要で、いい意味での「懐の深さ」が日本人の美徳である反面、足を引っ張ることもある。

本当におっしゃる通りです。以前「日本外交における『価値』の再検討」というテーマで論文を書いていた時に、日本政府が「『普遍的価値』に基づく『価値の外交』を展開する」という一方で、「価値観の押し付けはしない」と明言していたことに気づきました。

「普遍的価値」といいつつ、それを「押し付けない」という姿勢が、良くも悪くも日本なのだと思いました。そうした姿勢は貴重ですが、それだけでは政策にも援助の大方針にもなり得ません。

memento mori── 死を忘れるな

──価値観が生み出す良きものや正しきものは、時代や国によって変わってくると思うのですが。私たちが大切にすべきこと、概念であったり、その辺りのお考えは?

「お天道様が見ている」というのが基本かなと思います。当然のことですが、自分がされて嫌なことを相手にもしないという人間の倫理観です。何より、ラテン語でいう「メメント・モリ(memento mori)」死を忘れるな、ということでしょうか。そこを基準にすると、おのずと物事の優先順位が明らかになるように思います。

──なるほど、内的な拠り所を発信する。同時にアクセスできる言葉やアクションを伴うということですね。

国としても社会としても、そうした拠り所が必要だと思います。私はその候補の一つが、「人間の安全保障」という概念ではないかと思っています。「国家の安全保障」を、否定するわけでも軽視するわけでもありません。人間の安全が保障されるには、国家の安全が保障されることが大前提になる、という事態を私たちは今、ウクライナで目撃しています。

他方で、国家の安全を保障するだけでは人間の安全は保障されない。人間一人ひとりを大事にする視点、すべての人間の安全を保障することを目指す視点は、拠り所になりうると思います。
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インタビュアー=谷本有香(Forbes JAPAN執行役員・Web編集長) 文=中村麻美 写真=藤井さおり

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