「日本でも世界でも多くの人が貧困に苦しんでいるときに、つまるところ経済的に余裕のある人が対象となるラグジュアリーについて考えるというのは、倫理的にどうなのか?」
なるほど、もっともな感覚です。実際、貧困問題を論じた本は多数出版されていますが、ラグジュアリーに関する論考は数えるほどしかありません。貧困を語る言葉は豊富ですが、ラグジュアリーを語る言葉は貧弱です。貧困問題のほうががはるかに地球規模で切迫した問題で、その視点に立つと、ラグジュアリーが疑問視、よくて無視されることは当然なのかもしれません。
よく似た質問が、1970年に、ザンビアの修道女からNASAにあてて送られていました。
「地球上にこれほど多くの苦しみが存在するのに、大金を使って月に行ったばかりかさらに火星に行くことが正義といえるのか?」
経済学者マリアナ・マッツカートの『ミッション・エコノミー』に紹介されるエピソードです。
NASAはアポロ計画を敢然と進めます。その過程で起きた数々の技術革新は、一見、関係がなさそうな広範な領域に恩恵をもたらすことになりました。
アポロ11号月面着陸ミッション(c)NASA
カメラ付き携帯電話、アスレチックシューズ、浄水器、フリーズドライ食品、ワイヤレスヘッドホン、粉ミルク、義肢、LED、家の断熱材……。当時、一部の人々には究極の無駄と見えたアポロ計画は、人々の日常生活の広範囲にわたり、その波及効果をもたらしたのです。
そればかりでなく、黒人・女性というマイノリティであっても、アポロ計画にそれぞれの才能を活かして貢献することで、人間としての尊厳を勝ち取ることができました。計画は、人権の面でも大きな進歩をもたらしたのです。この経緯は映画『ドリーム』(2016年)にも描かれています。
宇宙開発は、科学技術の領域であるとともに、社会が直面する現実的諸問題とは無関係で無駄に見えるという意味では、当時におけるラグジュアリーでもあります。一見、無駄に見えるラグジュアリーを追求することが技術革新をもたらし、それが応用されて社会課題の解決につながることがある、ということです。
100歩譲って、宇宙探索は科学であってラグジュアリーではない、という意見もあるかもしれません。
すると、連想しやすいラグジュアリーでいえば、たとえば、高級バッグが挙げられるでしょうか。この領域では現在、動物由来の皮革に代わる素材が模索され、マッシュルームを筆頭に代替素材が開発されています。