中野さんが紹介されている2冊の本、『ミッション・エコノミー』と『ラグジュアリー・コミュニズム』をまだ読んでいないため、少々的が外れたコメントになるかもしれませんが、中野さんの書かれたことからいくつかのことを想起しました。
ラグジュアリーの新しい方向として「深い意味」を求める傾向があります。ストックホルム経済大学でイノベーションやリーダーシップを教えるロベルト・ベルガンティの著書で、ぼくが監修した『突破するデザイン』の内容と関わってくるので、その一節を紹介します。
この本は、新たな意味を求める人たちにそのアプローチの仕方を解説するものですが、その中で彼は人が意味を求める例を複数挙げています。
「相応しい意味」とは何か
一つ目は、ベルガンティがミャンマーを訪問した友人から写真を受け取ったエピソードです。欧州の基準からすると豊かとみえない暮らしぶりですが、住居には機能とは無縁の装飾に溢れていたのです。
人は生理的な安全や欲求が満たされたときはじめて、愛、自己実現、リスペクトを求めると思われがちです。だが、実際はそうではない。実用的価値とは異なる、高次におかれやすい価値を同時に求めて生きている。それが人間だ。ベルガンティはそう強調し、意味を求めるのは経済的余裕とは直接の関係がないと話しています。
二つ目。ベルガンティは英国のロックグループ、コールドプレイの曲『Fix you』の歌詞が、意味とは何であるかを的確に捉えていると書いています。
コールドプレイのクリス・マーティン(Getty Images)
この曲はボーカルのクリス・マーティンの元妻の父親が亡くなった時に書かれたもので、そこには「欲しいものを手に入れても、それが必要なものとは限らない」とのフレーズがあります。意味がないものは、持つに値しないと人は考えるわけです。
人は自らの人生を生きるにあたり、相応しい意味を求めます。それが機能とはまったく関係のないインテリアの装飾であるのです。また、きっと良いだろうと欲して入手したものも意味がないと分かれば、たとえ他人にとっては価値があるものであったとしても、本人はそれに見向きもしなくなるものです。「これ、美しいでしょう!」と人からもらったものでも、意味がなければ戸棚の奥にしまいこんで、いつの間にか忘れてしまうのです。
この現実を踏まえ、さらに次のエピソードを思い起こしました。バルト三国の一つリトアニアの話です。同国は人口3百万人ほどの国で、1990年に旧ソ連から独立しました。最近は親台湾政策で中国から猛烈な反発を食い、頻繁にニュースの国際面で取り上げられています。