前回の2016年の大統領選挙では、共和党でも泡沫候補と目されていた実業家ドナルド・トランプが、逆風をもろともせずに指名を勝ち取り、本番ではおおかたの予想を覆して当選。これまでにない規格外の大統領として、内外に賛否両論を巻き起こしながらも、2期目を虎視眈々と狙っている。
古くは、1960年の大統領選で、「ニューフロンティア」を掲げ、僅差で対立候補を破り43歳の若さで当選したジョン・F・ケネディ。まったくの無名候補ながらも、そのクリーンイメージで「ピーナツ畑からホワイトハウスへ」と駆けのぼった1976年のジミー・カーター。直近では、2008年、その巧みな弁舌でアフリカ系アメリカ人として初の大統領に当選したバラク・オバマなど、いずれもドラマチックな選挙戦を勝ち抜いている。
2020年の大統領選に向けて、アメリカ国民のみならず世界の視線が、徐々にこの国最大のドラマに注がれる中、かつて「最有力候補」でありながら、自ら撤退を余儀なくされた人物を主人公とする作品が公開された(全米公開は昨年11月)。
1988年の大統領選、民主党の候補として彗星のごとく登場しながらも、メディアが暴いた女性スキャンダルにより、その座から一挙に引きずり降ろされたゲイリー・ハート上院議員を描いた「フロントランナー」だ。
張り込み取材による不倫報道
フロントランナーとは、「最有力候補」を意味する言葉だ。ハート上院議員が大統領候補として、一躍クローズアップされたときのことは鮮明に記憶している。1987年、共和党のロナルド・レーガン政権の2期目で、民主党は清新な候補を模索していた。白羽の矢が立ったのが、コロラド州選出のハート議員だった。
彼は「ジョン・F・ケネディの再来」とも言われ、ハンサムでフレッシュ、なにより人々を惹きつけるカリスマ性があった。しかも名前も「ハート」だ(綴りはHartだが)。掲げる政策も、レーガン政権とはまったく異にするもので、テクノロジーや環境にも目配りした、なにより来たるべき「未来」を感じさせるものだった。世論調査でも他の候補を大きく引き離していた。
映画では、そのハート候補(ヒュー・ジャックマン)が女性スキャンダルに塗れ、自ら選挙運動から去って行く前後の経緯を、本人、メディア、選挙スタッフ、家族などからの多視点で追っていく。主人公はハート候補なのだが、物語はさまざま人物が登場し、交錯していく群像劇として描かれていく。
とくに詳細に描かれているメディア側の攻防は興味深い。スキャンダルを報じたのはマイアミ・ヘラルド紙なのだが、彼らが、ゴシップ誌のような取材を経て、何故この記事を掲載するに至ったか、有力紙であるワシントン・ポストとの対比で描かれていく。
例えば、ハート候補へのインタビューの時間、ワシントン・ポストの記者は優遇されており、マイアミ・ヘラルドの記者は後回しにされてしまう。ワシントン・ポスト紙に載った「そこまで言うなら、尾行すればいい」という、夫婦関係の質問に答えたハート候補の発言を受け、実際に張り込み取材を敢行し、不倫の決定的な瞬間を押さえてしまうマイアミ・ヘラルドの記者(まるで「文春砲」だ)など、メディア内部の描写は詳細だ。