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本は自己投資!

『大統領失踪』越前敏弥・久野郁子訳(早川書房)

街で新しくそば屋がオープンしているのを見つけたら、用心しなければならない。

表通りではなく路地裏や住宅街にひっそりとあり、手打ちをうたっていたらさらに要注意だ。中に入り、60代以上とおぼしき男性が作務衣を着て出てきたら、これはもうほぼ決まりである。

おそらくそこは仕事をリタイアした人が趣味のそば打ちがこうじて開いた店に違いない。もちろん味は悪くないだろう。ただ、趣味の延長でつくられたお店というのは、どこか緊張を欠いた独特のゆるい空気が流れている。それを好む人もいるだろうが、きりっと引き締まった雰囲気をそば屋に求める人間にとっては、いささかがっかりしてしまうのも事実だ。

正真正銘、元大統領が書いた小説

「クリントン元大統領が小説を書いた」と耳にした時、最初に頭に浮かんだのがこのそば屋のイメージだった。作務衣を着たクリントン? もちろん違う。激務から解放されて充実した余生をおくる72歳の男性が、かつての文学青年の夢を捨てきれずに小説に挑戦してみました、というストーリーを想像したのである。

言葉を選ばずに言ってしまうと、「暇をもてあました老人の手遊び」ではないかと思ったのだ。だが、この予想は完全に裏切られた。

「な、なんだ、これは!」ページをめくる指が止まらない……!

金曜日の夜に読み始めて夢中になり、気がつけば夜が明けていた。そろそろ徹夜は厳しい年齢にもかかわらず、あまりの興奮で寝不足もまったく気にならない。ジェフリー・ディヴァーやマーク・グルーニー、なんならトム・クランシーやダン・ブラウンを加えてもいい、そうした大ベストセラー作家の作品にひけをとらない面白さなのだ!

『大統領失踪』越前敏弥・久野郁子訳(早川書房)の出版は今年最大のサプライズだ。ニューヨーク・タイムズ・ベストセラー第1位、全米で100万部を突破した本作の著者は、第42代アメリカ合衆国大統領ビル・クリントンとジェイムズ・パタースンである。

ベストセラー作家パタースンとの共作のため、彼が全部書いたのではと思う人もいるかもしれないが、それは違う。パタースンはプロの作家も含め多くの共著者を抱えている。共同執筆というスタイルは日本ではあまり馴染みがないが、共著者は定期的にパタースンのチェックやアドバイスを受けながら書き進み、最後にパタースンが仕上げるというかたちをとることが多いという。

今回の両者の役割分担は明らかにされていないが、読めば間違いなく元大統領の実体験をもとに書かれた物語であることがわかるだろう。大統領を経験した者だけにしか書けないディテールが随所にみられるからだ。本書は正真正銘、元大統領の手になる小説である。

あらすじを紹介しておこう。

ジョナサン・リンカーン・ダンカン大統領は、政治的な立場を危うくしていた。国際的テロ組織「ジハードの息子たち」を率いるスリマン・ジンドルクと内通していたという嫌疑で弾劾裁判にかけられそうになっていたのだ。

実は大統領がジンドルクと接触したのには理由があった。国防総省のサーバーが謎のウィルスによる攻撃を受け、これを大規模なサイバーテロの予告とみて極秘の対策をすすめていた大統領は、あえてテロリストに探りを入れたのだ。ところがごく限られた側近しか知らないはずの機密が外部に漏れていたことが発覚する。どうやら身内に“裏切り者”がいるらしい。大統領はある協力者に会いに行くために、自ら姿を隠すことを決断する。

謎のウィルスによるサイバーテロは、地球上でもっとも豊かな国アメリカを、最貧国へと突き落とすほどの威力を持っていた。はたして大統領は祖国を救えるのか。大統領のたったひとりでの挑戦が始まる。

文=首藤 淳哉

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