以前「タワシタ」という短篇を書いたことがある(講談社文庫『フィルム』に収録)。環七沿いのバーが営業不振に陥り、店主が都内に引っ越そうと考える。店を行きつけにしていたグラフィックデザイナーの主人公は、東京タワーの下(ふもと)に元・自動車修理工場という店舗物件を見つけて店主に紹介、かつ店主に頼まれてオーナーにもなるという話。説明不要かもしれないけれど、東京タワーの下にあるからバーの名前は「タワシタ」とした。
実はこれは半分くらい本当の話で、10年ほど前に僕は、東京タワーの下にある自動車修理工場を改装したバー「ZORRO」のオーナーになった。バーの名をタワシタにできなかったのは、グラフィックデザイナーの長友啓典(けいすけ)さんのせいである(笑)。店名のロゴをお願いすると、快く引き受けてくれたのだが、「タワシタは厭や。ゾロがええなあ」と言う。「ゾロって何ですか?」「怪傑ゾロのゾロや」「何か意味があるんですか?」「意味はないけど、Zで始まるのがいいんや」と、タワシタはあえなく却下された。
しかし翌年、ZORROの上階が空き店舗となったタイミングで、友人の会社経営者のAさんがアザブハウス元店長のSさんを連れてきて「ふたりで店をやろうと思うのだが、手伝ってくれないか」と言うではないか。僕たちは3人でオーナーとなって、ビストロ「タワシタ」をオープンした。長友さんはこのときも「前はZで始まったから、次はAがええなあ」と言ったのだが、「いや、今回はタワシタ以外は受け付けません!」と頑張りとおした(ちなみにZORROは改装を経て現在は「月下(げっか)」に名を変え、タワシタとともに絶賛営業中。現オーナーの詳細についてはここでは割愛します)。
前置きが長くなったが、僕がバーのオーナーを引き受けたのは、正直いうと成り行きだった。しかし、引き受けるからには僕なりの楽しみというか、アイデアがあった。そのバーを、人や文化が集まり、互いに刺激しあって、新たに発信していく場所にしたいと考えたのだ。おかげさまでいろんな職種のおもしろい人が集まって、互いに仕事相手になったり、かけがえのない友人同士になったり、豊かな文化交流がもたらされた。
なかでもちょっとだけ自慢なのが、バーの壁面を担当した飛騨高山の左官職人、挾土(はさど)秀平さんのことである。その見事な壁を気に入った方はとても多く、はからずも”挾土秀平のショールーム”的な役割を果たしたようで、その後、彼はザ・ペニンシュラ東京のロビーエントランス、北海道洞爺湖サミット会場のゼロエミッションハウス、羽田空港国際線ファーストクラスラウンジ、現在放映中のNHK大河ドラマ『真田丸』の題字など、素晴らしい仕事を手がけた。人と人の縁を取り持つ場所、それがこのバーのいちばんの存在価値なのである。