非合理が「合理的」とみなされる理由
では、95年前に世界を混乱に陥れた保護政策をなぜ再び始めるのか。
「非合理としか思えない話が、合理的だとされてまかり通る時代は、周期的にやってくる」
そんな話を聞いたのは、投資家の阿部修平スパークス・グループ代表と対談していた時だ。
なぜ非合理的なものが合理的と思われるのか? それは、国民の多くが「やってられない!」と思う時であり、「やってられない」と思うのは、経済に歪みが生じた時だ。歪みとは富の偏在のことで、阿部氏から見せてもらった下記のグラフを見てほしい。

アメリカは国民のわずか1%の超富裕層が、アメリカの資産総額の20%以上をもっている。逆に所得の下位50%(つまり、国民の半数)の人々がもつ所得は、全体の20%から10%程度にまで下がっている。天国と地獄のような所得の開きであり、多くの人が「こんな生活、やってられない」と思う社会になっていたのだ。
こうして人間は、協調体制やルールを壊して、分裂を求めるようになる。ところが、時間が経つと、今度はその反動で統合を求める。スムート・ホーリー法の施行から9年後に第二次世界大戦が始まり、世界中が分裂の極みを体験した後、1945年にI M Fが設立され、世界は統合を求めた。再び悲惨な目に遭わないように、協調しようと呼びかけたのだ。
この統合と分裂の周期は、「社会的記憶の長さに起因すると思う」と、阿部氏は言う。
富の偏在、つまり腹が減ると、合理的か非合理かという理屈は通用しなくなる。が、悲惨な記憶があれば理性である程度の我慢はできるだろう。その悲惨な記憶が社会から消えていれば、空腹を満たす行為を優先しようとする。結果的に空腹が満たされるわけではないとしても、だ。
では、今、分裂に向かおうとする動きは、いつ、どうやって修正に向けた動きに転じるのだろうか。
そして、時代がどこに向かおうと、デンマークのような伏線が実は日本にもあるのではないだろうか。日頃、日本企業の地道な活動を見ていると、そう思わざるをえないのだ。
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