経済・社会

2025.04.07 18:30

歴史が教える、アメリカの高関税に打ち勝った「賢い国」はどこか?

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こうした混乱のなかで、保護政策に負けず、世界的シェアを確立した事例が紹介されている。デンマークだ。デンマーク製のベーコンは全世界の貿易量の半分近い量を輸出し、乳製品も高い関税に負けじと世界で圧倒的な地位を確立するまでになる。このストーリーの伏線は、スムート・ホーリー法が施行される48年前まで遡る。

1882年、デンマークの酪農家グループが、高価な新型クリーム分離機を共同で購入し、クリームとバターを販売することにした。これが世界初の協同乳業工場であり、デンマーク初の「協同組合」となる。

3人の組合理事は深夜におよぶ討議のすえに、組合規約をつくった。次のような決まりだ。

まず、毎朝、組合のトラックが各農家から牛乳を集める。自宅で飲む以外は一滴残らず提供しなければならない。衛生基準を厳しく設定し、工場に運ばれた牛乳は、熟練の職人たちによって処理される。脱脂乳は農家に戻され、そこで製造されたバターは自由市場で販売され、利益は提供した質量に応じて組合員に分配。この方法は大成功となった。製品の質は上がるし、人気も出たのだ。この影響を受けて、10年も経たないうちに、デンマーク国内に500を超える組合が誕生した。

酪農の大成功は、養豚業者を奮い立たせた。

当時、豚肉は牛乳以上に品質にばらつきがあった。養豚業者たちは輸送を効率化して、さらに品質をあげるために、共同で最新設備の精肉工場をつくった。次に動いたのは政府だ。豚肉のレベルを上げようと、政府は試験場をつくった。最良の種畜を農家に提供するためだ。

こうしてデンマークは高品質のベーコンを世界に販売するようになった。アメリカがスムート・ホーリー法を成立させる頃には、最初の精肉工場をつくった頃と比べて、約5倍の数の豚を飼育し、輸出量は33万1500トン、成人人口の半数以上が組合員になっていた。

さらに政府は模倣品と区別させるために、デンマーク産の高い品質基準を保証する海外向けの商標をつけさせたという。いわばブランディングだ。

保護貿易の嵐が吹き荒れると、デンマーク産の製品も当初はアメリカへの輸出量が減少した。しかし、幸運が重なった。冷蔵貨物の技術の進歩により、輸送費が格段に安くなっていた。また、穀物飼料の値段も下がっていた。高い畜産技術で高品質の商品をつくり、政府がブランド戦略を打ち出して、世界からのニーズは高まっている。各国が保護政策で関税を課しても、輸送費用が大きく下がっているためシェア獲得の絶好のチャンスとなったのだ。

現在の酪農王国デンマークのブランド価値は、以上のような酪農家たちの設備投資と研究から始まったものであり、同書の著者であるバーンスタインは、「現代の教訓」としてこう述べている。

「必要なのは支援と資金であって、保護ではない」

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文=藤吉雅春

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