ヨーロッパではアメリカ製品の不買運動が起こり、通りを走るアメリカ車には卑猥な言葉や罵声が浴びせられる━━。といっても、その車はテスラではないし、これは現代の話ではない。1930年、悪名高いアメリカの関税法「スムート・ホーリー法」が施行された際の出来事だ。
この「スムート・ホーリー法」は、4月にトランプ米大統領が公表した相互関税で今、再び注目され始めている。1930年、実に輸入品2万品目に平均60%という高い関税を課したアメリカの法律で、歴史的には「大きな政策ミス」と結論づけられている。
冒頭のヨーロッパでの喧騒は、投資理論家のウィリアム・バーンスタイン著『華麗なる交易 貿易は世界をどう変えたか』(2010年、日本経済新聞出版社刊)で紹介されたものだ。同書は紀元前3000年から現代に至るまで、人類の貿易の歴史を書いたユニークな大著で、スムート・ホーリー法については「崩壊」というタイトルで一章まるごと割いている。保護貿易がどんな事態を巻き起こしたか、そのメカニズムや具体的な現象が書いてあるので、ここで簡単に紹介しよう。
スムート・ホーリー法は、大恐慌による厳しさから自国の産業を守るためのアメリカの保護貿易政策だが、当時、国内外から1000人以上の経済学者、そして新聞の論説委員たちがこの法案に大反対した。結果的にこの保護政策は経済的効果がなく、各国間の緊張だけが高まり、第二次世界大戦の一因になったとされている。また、1930年から1933年の間に世界全体の貿易量は3分の1から半分近くまで落ち込み、世界のGDPは1〜2%の損失だったと同書は指摘している。そして経済以上の、目に見えない大きな悪影響があった。それは、世界で噴出した悪感情である。
著者のバーンスタインは、経済哲学者のジョン・スチュワート・ミルの言葉を引用して、こう書いている。
他国の富と進歩が、自国に富と進歩を直接もたらす源でもあるのに、「他国が自国よりも、弱く、貧しく、統治がいい加減であればいいと願っていた(中略)」
そして知的な効用や倫理的に考える環境はなくなり、報復合戦が始まった。
例えば、自動車とラジオはアメリカが誇る産業なので、輸入される自動車とラジオに対して平均50%を超える関税率にした。これに怒ったのが、国民ファシスト党の党首としてイタリアの首相に君臨していたムッソリーニである。言うまでもなく、自動車やファッションはイタリアの基幹産業である。「自動車マニアの総統」と言われるムッソリーニは、対抗措置としてアメリカ車への関税率を100%近くまで上げた。倍返しである。
ムッソリーニに続いて対抗措置をとったのが、イギリス、フランス、スペイン、カナダ、アルゼンチンだ。また、スイスは国民の多くが時計産業に従事している。時計への関税率引き上げに対して怒りの声があがったという。アメリカにコルク栓を輸出していたスペインは、アメリカから製造国の刻印を入れるよう求められた。さらに、関税が法外に高い水準まで引き上げられたため、コルクそのものの価格を上回る費用がかかるようになった。これでは商売そのものが成り立たない。