“失われた30年”を乗り越えた日本企業の「中から変わる力」

「1989年」に何が起きたのか?

阿部:では、なぜこの30年で日本が凋落し、中国が台頭したのか。この「1989年」という年が大きなヒントになります。つまり、この年に「ベルリンの壁の崩壊」と「天安門事件」という歴史上、極めて重大なイベントが2つ起きているんです。

藤吉:確かにそうですね。

阿部:これは偶然ではなくて、やはり必然と考えるべきです。つまり、東と西、あるいは社会主義と資本主義という、それまで分断されていたものがひとつになろうとするプレッシャーがグローバルに表れた結果が、ベルリンの壁の崩壊であり、天安門事件だった。

藤吉:面白いですね。全世界で同時多発的にプレッシャーが生じたんですね。

阿部:歴史を動かすのは、常に経済的なプレッシャーです。人々が日々、食べていく、生きていくための欲求や選択の積み重ねがプレッシャーとなって歴史を動かしていく。

では、東西ドイツが統合されたことによる最大の受益者は誰でしょうか?

藤吉:メリットを享受したのは、まず、ドイツですよね。

阿部:そう。東西統合によって、ドイツは自動車産業を強化して、ヨーロッパの経済を引っ張る存在になりました。

彼らは東側の安い労働力を使って、最も高級な自動車を作る戦略に打って出たわけです。以降の30年でヨーロッパは世界のGDPに占める割合が24%→12%と衰退していくのだけど、ドイツが何とか下支えしたという構図です。

グローバル市場がひとつになった

阿部:一方で中国は、天安門事件以降の改革開放路線によって、世界の市場に加わります。従って、この2つの事件により、グローバル市場がひとつになったとも言えます。その結果、世界中で何が起こったかというと、「ディスインフレ」でした。

藤吉:「ディスインフレ」というのは、インフレからは脱したけど、デフレではない状態ですよね。物価の上昇率がゆるやかに下降していく。



 グレーの色掛け部分は、以下のイベントを反映:第1次世界大戦(1914年-1918年)、世界大恐慌(1929年-1932年)、第2次世界大戦(1939年-1945年)、第一次オイルショック(1973年)、第二次オイルショック(1978年) 、ベルリンの壁崩壊(1989年)、リーマンショック(2008年)、コロナショック(2020年) 日本のCPIは1971年1月以降を記載。 上記は過去の実績およびイメージであり、将来を示唆するものではありません。出所: FactSet Pacific Inc.、スパークス・アセット・マネジメント

阿部:第一次大戦以降のアメリカと日本の消費者物価指数の推移を示したグラフを見ればわかりますが、70年代から80年代半ばにかけては両国ともめちゃくちゃインフレだったんです。ところが89年の歴史的な2つのイベントを経て、グローバル市場がひとつになると、インフレに歯止めがかかって、ディスインフレへと転じていきます。

なぜかといえば、東側の安い労働力がグローバル市場に組み込まれて、価格低下が波及していったからです。ディスインフレの場合、物価の上昇率は3%程度で、人々にとっては、もっとも居心地がいい状態になりました。

ところが、日本だけはディスインフレではなくデフレになってしまいました。
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text by Hidenori Ito/ photograph by Kei Onaka

連載

市場の波をつかむ12の方法 スパークス代表・阿部修平×Forbes JAPAN 編集長・藤吉雅春

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