ラグジュアリーもコミュニティも「デザイン」が突破口になる

鈴木 奈央
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以上の流れやロジックを、比較的多くの人が共通認識としてもっています。ただ、今回、冒頭で紹介したミラノ工科大学で接したエピソードは、さらにその先へと考察を導いてくれます。

関心が高まる公的な領域や社会的なテーマをビジネスの内に統合的に取り込んでいけるのはデザイナーではないか、ということです。

「経済学は、経済学者にまかせておくには重要すぎる」というよく知られたフレーズがありますが、これに倣えば「デザインは、デザイナーにまかせておくには重要すぎる」とも言えます。しかし、「全面的に任せるには重要すぎるが、デザイナー主導を推進する意義はある」と付け加えると、おさまりがよくなります。

20世紀の真ん中におけるデザインはモノの形状や色を決めることが主要課題であったのが、20世紀後半からデザインの対象はユーザーの経験やコミュニティ、さらには社会全体と範囲が広がってきました。それと並行して状況変化の速さが増し、人々は臨機応変な対応をより求められるようになりました。分野を問わず、事前にプログラムを設定した機械的な運営ロジックが通用しづらくなります。

そこで21世紀に入り、デザインのもつ多様性さと柔軟性がツールやアプローチとして注目されるに至ります。かつ、公共との相性の良さは、若い学生の姿勢からも見られるのです。

このような点から、デザイン教育のなかで学生たちに新・ラグジュアリーを考えさせるのは、ぼくが当初に想定していた以上に大切かもしれないです。新・ラグジュアリーは新しい文化を実験的につくっていくことを性格としてもつと考えているのですが、デザインをコアに発展させるが相応しい。

言うまでもなく、既にデザイン教育のなかにラグジュアリー領域を取り込んでいる大学はありますが(ミラノ工科大学にも、そうしたコースがあります)、もっとその数が増えてしかるべき、と思うのです。
ワークショップを振り返る学生たち @Ken Anzai

ワークショップを振り返る学生たち @Ken Anzai

この連載は「ポストラグジュアリー360度の風景」と称していますが、広い領域横断的な教育の素材としてラグジュアリーが使われていいですね。より幅広く多角的にものごとを見るトレーニングこそが要求されるのでしょう。中野さんのご意見をお聞かせください。
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文=安西洋之(前半)・中野香織(後半)

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ポストラグジュアリー -360度の風景-

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