「僕と永遠のアイドル、坂本龍一」写真家・田島一成

2007年撮影(c)tajima kazunali

3月28日、世界的音楽家の坂本龍一さんが亡くなりました。

坂本さんのさまざまな撮影を担当し、写真集や雑誌連載、芸術祭などでコラボレーションしてきた写真家の田島一成さんが、“永遠のアイドル”との30年を振り返ります。


小学生時代の代表的なアイドルはピンクレディーだった。僕は、歌って踊るスタイルのアイドルというものに馴染めなかった。

そんな時、友人の一人が遠足にラジカセを持って来た。ラジカセに入っていたのは、YMOのカセットテープ。初めて聞いて、稲妻のような衝撃を受けた。頭の中のOFFのスイッチが、カチッと音を立ててONになった感覚があった。

歌詞がなくてこんなにカッコイイ未来的な音楽があるのかと驚き、後日、急いで街のレコード店へ行き、ライブアルバムの「パブリックプレッシャー」を購入した。YMOのアルバムは既に3枚が店頭に並んでいたが、それが一番未来的でデジタルっぽかったからだ。ジャケ買いだった。

実家のステレオで爆音でかけ、擦り切れるほどLPを聞き、どんどんのめり込んでいった。テレビで放送されたYMO関連の番組はVHSテープに録画して繰り返し見た。

なかでも多くの影響を受けたのは、当時小学館から発売されたYMO本『OMIYAGE』だった。その本には3人の自宅の写真や趣味趣向、海外公演に同行したカメラマンの三浦賢治さんの写真、横尾忠則さんや糸井重里さんといったクリエイターとの関係など、当時の小学生には知る由もなかったクリエイティブ業界の裏が描かれていた。

グラフィックデザイナー、コピーライター、カメラマン、スタイリストなどという職業があることを知り、憧れた。今の自分があるのはこの『OMIYAGE』による影響が大きい。先日会ったコーネリアス=小山田圭吾くんも、この本に影響されたと言っていた。

当時、ルーズリーフというバインダー式のノートが流行していた。半透明のプラスティックの表紙に、皆お気に入りの女性アイドルの雑誌の切り抜きを入れていたが、僕は三浦賢治さんが撮影した坂本さんの白黒写真を『OMIYAGE』からコピーして入れていた。坂本さんは最初から最後まで僕のアイドルだった。

YMOのレコードジャケットやポスターのカッコよさに魅了されて、グラフィックデザイナーになりたいと思った。YMOや坂本さんのデザイン周りを数多く手がけていたのは奥村靫正さんや井上嗣也さん。スーパーデザイナーによる、最高のデザインだった。

坂本さんのFM番組を聴き、紹介された海外のニューウエーブのアーティストに興味を持つようになり、洋楽を聴き始めた。そうして海外のアーティストに付随するファッション、カルチャー、映像、写真に興味を持つようになっていった。
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文=田島一成 編集=鈴木奈央

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