大学卒業後、2年半の助手期間を終え、カメラマンとして独立。ファッション誌やCDジャケットの撮影をするようになり、一年後にパリに移住、その三年後にニューヨークに移住した。
NYでは、既にファーストソロアルバムの撮影をさせていただていたテイ・トウワさんが「最初はウチに居候したら?」と誘ってくれ、三カ月間お世話になった。当時テイさんは、坂本さんの音楽レーベルgut所属で、僕のポートフォリオを坂本さんに見せるチャンスを作ってくれた。
小学生の頃からのアイドルで、人生で一番撮りたい被写体である坂本さんに直接面会する機会が突然訪れ、考えるだけで緊張した。
坂本さんのオフィスでポートフォリオを見ていただいた。緊張している僕に娘の美雨さんが「ファッション写真のファンなのでどんな写真なのか見たかった」と優しく話してくれた。ポートフォリを見終わったその場で、坂本さんから「写真集を撮らないか?」と提案された。アイドルからの撮影オファーに舞い上がった。
翌週からほぼ毎週、坂本さんがいる場所に一人で出向いた。まだ出会って間もなく、互いに緊張感があるまま撮影は始まった。邪魔にならないように息を潜めながら撮った事務所での作曲風景、レコーディングスタジオでの演奏風景、背景を垂らしたスタジオのようなセットアップ撮影、二人で散歩しながらのロケ撮影など、約1年間にわたり僕が撮りたい写真を自由に撮らせてもらった。
白髪が増え始めた坂本さんに、全部白髪にした方がカッコイイかもと提案して、染めていただくこともあった。撮影後には、坂本さんお気に入りのソーホーの蕎麦屋「HONMURA AN」でご馳走になった。来店していたアーティストのナム・ジュン・パイクさんを紹介していただき、その場で撮影した写真も写真集に入れた。
写真集のアートディレクターとして推薦した中島秀樹さんは、その後長年にわたって坂本さんのデザイン周りを担当するようになった。中島さんも若かったのに、坂本さんより先に亡くなってしまった。タイトルは「N/Y」。坂本さんがつけてくれた。サブタイトルは、「NO OR YES」。ニューヨークのNYではない。写真集とそのポスターはNEW YORK ADCから賞をいただいた。