その時、ファインアーティストに対するコンプレックスが強く芽生え、同年から個人的な作品として“枯れた花”の作品シリーズを撮り始めた。数年後、NYから東京に移転したHONMURA ANで坂本さんにその話をすると、「おそらく田島くんがその様に感じて個人的な作品を撮るキッカケになるだろうと考えて芸術祭に参加させたのだ」と言われた。全く頭が上がらない。
その後、信藤さんとNYへ広告撮影に行った時、「どうも喉のあたりに違和感がある」と不調を訴えていた。それが中咽頭がんだった。永遠のアイドルががんに侵されたと知り、自分もしばらくうつ状態になってしまった。
最後にお会いしたのは2年ほど前、僕の個展「WITHRED FLOWERS」を見に来てくれた時だった。坂本さんの導きによって実現した初めての個展。その個展の写真集のあとがきも坂本さんに書いていただいた。
あとがきを依頼するメールに写真を添付した際には、「これは誰の真似でもなく、本当に田島くんのオリジナル作品だと言えるのか?」というようなことを訊ねられた。独自性、オリジナリティにこだわる姿勢がうかがわれた。
坂本さんのお気に入りは枯れた紫陽花の写真。確かにそれは他の誰も撮っていない写真だった。別れ際、コロナ禍で握手も憚られるような時期にもかかわらずハグをしてくれて感動した。最後のハグだった。数時間後に「本物を観れてよかった! 実物は(データと)かなり違うね」とLINEをくれた。
闘病が始まったタイミングで、息子で映像作家の音央くんが坂本さんの撮影を担当するようになり、僕がその9年間で撮影したのは数回のみ。アイドルに会えずとても寂しかったが、音央くんの写真は家族特有の親密な空気の中で撮られていて大変素晴らしかった。
なかでも彼が監督し、昨年末に配信された収録ライブ作品は、ライティング、フレーミング含め全てが素晴らしかった。また少し痩せてしまった坂本さんが、体力的にも厳しい状態の中でピシッと背筋を伸ばして魂を込めて演奏する姿に感動し、涙した。
翌日、その内容とともに、自分もさらに真剣に作品に取り組まなければと背筋が伸びる思いだとLINEをすると「ありがとう。監督は音央ですよ!」という誇らしげな言葉と、「がんばって!」という言葉と、ドラえもんのスタンプが届いた。