トークイベントで語られたこと
会期中に行われたトークイベントでは、以下の4つのシナリオが用意されていた。まず糸沢さんが当時住んでいたウクライナ東部のルガンスクでの生活についてだ。気候風土や食文化とともに、ロシア語圏でありながら、紛争前まではさまざまな人種や民族の人たちがモザイクのように暮らしていたことなど、そこに確かに存在した穏やかな日々が語られた。次に語られたのは、2013年冬のマイダン騒乱、年明けのクリミア侵攻、そして春のドンバス紛争後から糸沢さん一家がルガンスクを退避することになったことだ。その頃、現地の生活にどんな変化が見られたのか。町に出現するようになった軍や兵士の存在、治安や経済、教育などの統制機構のロシア化の始まりについて、彼の内部体験としていくつかのエピソードが語られた。
それは現在の戦争の伏線でもあり、今日の占領地の状況を理解するためにも大いに役立つ話だった。
そして、2022年のロシアによるウクライナへの侵攻以降、一家の住むポーランドに多くのウクライナ人が避難してきたこと、数年前までは避難民であった彼らが逆に新たな避難民の生活を支援するに至ったことなども語られた。さらに、戦況によって刻々と変わる支援のあり方についても糸沢さんは提言した。
到底1時間半のトークですべてを話せるような内容ではなかったと思う。それについては、あらためてそれぞれ4回に分けて、じっくり語ってもらう機会をつくる必要があると筆者は思っている。
また、トークイベントでは、登壇したウクライナ避難民の女性の話が胸を突いた。彼女はロシア軍侵攻の朝、多くの市民が生活必需品を求めて混乱をきたすなか、いつものように出勤前にコーヒーを買いに行ったが、店は閉まっていた。それでも気を取り直して、川沿いの通勤路を歩いて大学に向かったという。人間というものは、そんなにすぐに時局の急変を受けとめることなどできないものなのだ。
彼女は糸沢さんのルガンスク時代の日本語講座の学生で、その後、日本語教師として働いていたが、2014年以降、キーウに逃れていた。昨年のロシア軍侵攻でさらにポルトガルに避難することになったのだが、さまざまな縁があり、日本で避難民として暮らすことになった。
そんな彼女は「勝利の先にしか平和はない」と語った。侵攻1年目の2月24日、筆者は都内のウクライナ正教会の祈祷会に参加したが、このとき司祭も同じことを口にしたのが印象に残っている。なぜなら、同じ日、ゼレンスキー大統領や駐日ウクライナ大使も同じことを話しており、宗教指導者も政治家と同じことを語るものなのかと少し違和感を覚えたからだ。
だが、これが戦時下を生きる人たちの共通の思いなのかもしれない。ウクライナとロシアの長い歴史的関係を考えるとき、「勝利の先にしか平和はない」ということを諦めてしまったら、自分たちの将来を前向きに捉えることができなくなるからだろう。