「2015年3月、取材で出かけたモスクワからベラルーシのミンスク行き夜行列車に乗ったとき、戦車を載せた貨物列車を見ました。その写真を撮ろうとしたら、駅員に止められたのですが、当時の自分はこの国は戦時中なのだという実感はまったくなかったのです。
ロシア国内はいつものように平和そのもので、クリミアの主要都市シンフェロポリ行きの飛行機が国内線扱いになっていることも気に留めなかった。クリミア併合が無血だったこともあり、ドンバス地域で戦争をしているという実感が持てなかったのです。
そう思うと、いまの自分にはウクライナを語る資格はない。自分には多少なりとも考えるきっかけがあったわけだから……」
こうした時勢に対する鈍感さの自覚は、筆者も含め、多くの人が身に覚えがあることかもしれない。
写真展の会場には若い世代の人はそれほど多くはなかったが、2人の女子学生に会場の受け付けなどを手伝ってもらっていた。女子学生の1人はこんなことを話した。
「ウクライナ侵攻の報道があったとき、戦争が始まったことを私はきちんと理解していませんでした。『侵攻』ということが人を殺める行為であるということに気がついていなかったのです。
私は侵攻されたウクライナと東日本大震災の被災地を同じような感覚で捉えていました。知りたいし、知らなくてはいけないように思うけれど、どのようにその問題を自分に近づけていけばいいのかわからないし、知りたいと思って情報を得ても気持ちが沈むだけで何もできないのです。
私たちは『戦争をしない』ということだけは強く教え込まれた一方で、侵攻や防衛という言葉に対しては感覚が鈍くなっているのだと思います」
確かにこの国の大人たちは、戦争が実際に起きたらどうすればいいのか、誰も語ろうとしないし、教育は若い人たちに何も教えてくれない。奇しくも異国で暮らす糸沢さんという日本人が、戦争という事態に遭遇したことで、それをどう受けとめ、ひとりの市井の人間として何ができるのか身をもって体現することになったのである。そして、それは彼が特別な人間だからという話ではないのだと思う。
写真展で聞かれたこれらのさまざまな声は、いまの時代を生きる人たちの率直な思いを反映していると筆者は思う。最後に、糸沢さんのウクライナ避難民支援の活動のために多くの方から寄付金をいただいたことを、事務局として心より感謝いたします。