21世紀に世界遺産となったイタリアの「単なる田園風景」の価値

オルチャ渓谷の農業景観(c)植田曉

ぼく自身、今のオルチャ渓谷を知らないので、本から想像するしかないのですが、次のような点で新・ラグジュアリーを語るに相応しいエッセンスが満載だと思いました。
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まず、歴史的遺産に基づいた世界観が、博物館のような閉じた空間ではなく、地域の人々が生きるすべての空間で実感されるシステムになっていること。文化的景観というコンセプト自体に民主的な意味あいがあり、旧型ラグジュアリーにある排他性とは正反対です。「貴族やブルジュアの生活」ではなく、「人々の生活」。この点が新・ラグジュアリーと呼応します。

2つ目に、歴史的遺産とは長い年数、常に一定の高さで評価されているとは限らず、その時々に、ある種の巡り合わせと人々の意志を伴った動きがあって陽の目をみるということ。

オルチャ渓谷は、21世紀の美として「ありきたりの風景」をユネスコに提案するに相応しいという判断があったからこそ、評価されました。その観点でいうと、今の時代に合う歴史遺産は「選び取る」ものだと言えます。
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フランスのコングロマリットが提示するラグジュアリーモデルがやや古くなってきたがゆえに、19世紀の英国のアーツアンドクラフツを参照する新・ラグジュアリーが意味をもつのは、この点です。

3つ目は、ラグジュアリーの語源にあるラテン語の“ルックス”が光を表現していたのにみるように、王族、貴族、宗教の権威づけのためにラグジュアリーがあった時代はきらびやかさが求められました。しかしながら21世紀において、きらびやかさは往々にして下品であるとみられます。また、貴族性が「時代錯誤」であると嘲笑の対象にもなりかねない。

一方、長い世紀にわたり、田園地帯に住む農民の生活は文化の視野から外され、近代工業社会においても「下位にある」と見られていました。それが文化的景観に欠かせない、と地位が逆転したのです。これは文化的前衛である新・ラグジュアリーと重なり合うところです。

3つ目をみても、例えば、農産物も「農民が美味しいと話すのが一番美味しい」と、都会の人の舌が最終判断の基準とは一概には言えなくなりました。大きな市場の消費者が正しい、という見方が崩壊してきたのです。田舎が求められる傾向はミラノ市内のレストランのインテリアを見ていても感じます。「ルスティコ(田舎風)」と形容されるカジュアルなデザインが主流になりつつあります。

ウンブリアの農民の子どもとして生まれ、自らより美くし変えた田舎風景のなかに本社を構え、職人仕事をベースとしたスポーティ・エレガンスを謳う高級ファッションのブルネロ・クチネリが、いかに現代のラグジュアリーにマッチしているか。例のフレスコ画『都市と田園における善政の効果』の世界観、そのものです。新・ラグジュアリーと田園風景の関係、中野さんはどう考えられますか?
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文=安西洋之(前半)、中野香織(後半)

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ポストラグジュアリー -360度の風景-

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