21世紀に世界遺産となったイタリアの「単なる田園風景」の価値

オルチャ渓谷の農業景観(c)植田曉

1985年、「景観法」ができます。それまで景観の問題は都市空間が中心でしたが、そこに一応の解決策がみえたので、それ以外の地域に課題が移されたのです。また、同じ年の「アグリツーリズモ法」によって農家も民宿経営が可能になります。そして3つ目が1989年スローフード宣言。農村や食の価値が再評価される契機になります(田園風景を巡る意味のイノベーションがおこり始めたちょうどその頃、ぼくはイタリアで生活をはじめたことになります)。
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この流れのなかでトスカーナにあるオルチャ渓谷というテリトーリオがどう変貌していったか? を記したのが、『トスカーナ・オルチャ渓谷のテリトーリオ 都市と田園の風景を読む』です。

中世の時代、ローマに巡礼するための交通ルートとしてフランチジェナ街道がありました。英国のカンタベリーからフランスとスイスを経由してローマにいたる街道です。オルチャ渓谷はこの街道に沿っていたので、旅人をもてなす場、防御と監視のための要塞、宗教施設などのインフラが丘の連なる地域に形成されたのでした。

オルチャ渓谷の農業景観(c)植田曉
オルチャ渓谷の農業景観(c)植田曉
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そしてシエナ共和国の一部としての繁栄後、今に至るテリトーリオ全体の構造ができあがったのは18世紀後半です。それが先に述べたように、20世紀半ばにはコモディティ化されました。

オルチャ渓谷の復権に大きく貢献したのが、2004年、ユネスコの世界遺産登録です。文化的景観として評価されました。それ以前、登録された文化的景観は「珍しい風景」であったのに対し、さほど有名な建築物があるわけでもない「単なる田園風景」のオルチャ渓谷のテリトーリオが対象として認められたのです。文化的景観のもつ深い意味が評価されたと言って良いでしょう。

この深い意味を示唆するにあたり、オルチャ渓谷にある5つの自治体が世界遺産登録申請において起点としたのが、シエナ市役所にある14世紀半ばのフレスコ画『都市と田園における善政の効果』(アンブロージョ・ロレンツェッティ)です。

当時、主流だった宗教画ではなく、シエナの街とその周辺の日常生活が描かれている作品です。都市と田園の連携した姿は、近代の工業化した都市/田園政策において忘却の彼方にありました。そこで、自治体は21世紀の美はこの姿を目指すべきだと提案し、ユネスコはそれを受け入れたのです。

『都市と田園における善政の効果』(アンブロージョ・ロレンツェッティ)編集(c)植田曉『都市と田園における善政の効果』(アンブロージョ・ロレンツェッティ)編集(c)植田曉

オルチャ渓谷の60%以上は農業地域です。営農活動と観光を通じ歴史と自然が守られています。都市や田園地帯にはアグリツーリズモもあるし、高級ホテルもあります。

1990年代以降、それまで寂れていた地域に高級ホテルやレストランが開業し、それが全体のイメージ向上の契機になったのは確かです。かといって、ローカルの人と衝突、あるいはジェントリフィケーション現象(都市開発に伴う街の高級化)が目立つわけでもなさそうです。
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文=安西洋之(前半)、中野香織(後半)

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ポストラグジュアリー -360度の風景-

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