「両親の同時入院」という大事件 危機への対処法 #人工呼吸のセラピスト

連載「人工呼吸のセラピスト」

重症筋無力症で人工呼吸器ユーザーの押富俊恵さんは、足掛け4年近くに及んだ長期入院の中で感じた疑問、違和感などをブログでつづってきた。

2012年に在宅復帰してからは、地域で暮らす障害者の立場からの発信が次第に増えていった。それが市民活動につながったのは、「両親の同時入院」という大事件がきっかけだった。

前回:「私のトリセツ」で在宅ケアのチームワークづくり

講演依頼が増えるさなかで 大問題が発生


2012年9月、押富さんは元の職場・偕行会リハビリテーション病院(愛知県弥富市)で「日ごろの支援を振り返ろう」をテーマに講演した。

前々回に紹介した母校の卒後研修会での講演(同年5月)を受講した元の同僚が感動し「ぜひ、うちでも」と研修会をセッティングしてくれたのだ。看護・介護スタッフ向け、リハビリスタッフ向けの2部構成にして、患者の思いに沿った支援を語りかけた。看護師によって患者が感じる重圧感は大きく違うから「ナースコールを押すときは、当直のだれが来てくれるか、くじ引き気分」といった本音トークが好評だった。

医療者にとって「患者の意識」を自身の体験とともに客観的に語ってくれる人材は貴重で、その後も講演依頼が増えていく。翌年13年には、専門誌「作業療法ジャーナル」で5回の連載「患者と治療者との間を生きる」の執筆が決まった。しかし、その連載の最中に押富家に大問題が起きてしまった。

1月に父・忍さんが脳出血で倒れて、急性期病院からリハビリ病院へと入院が長期化する間に、母・たつ江さんが膝の感染症にかかり、緊急入院となったのだ。

押富流・危機の乗り越え方


人工呼吸器を片時も手放せない押富さんを独りにはできない。それまでは、ヘルパーが朝から夕方まで毎日7時間世話。たつ江さんは仕事から帰った後の夕方から朝までの介護や見守りを担っていたが、その部分がすっぽり抜けてしまった。

最重度の押富さんは、自立支援法の重度訪問介護のサービスを月279時間(1日あたり9時間)まで利用できたが、限度まで使っても1日約15時間の空白ができる。当初は「レスパイト入院」も考えた。緊急の事情で在宅介護が困難になったときに一時的に入院できる仕組みだ。だが、24時間人工呼吸の身で入院すれば、行動の自由を著しく制限され、忍さんに何かあったときに介護タクシーで駆けつけることもままならない。

応援メンバーを募って空白部分を埋め、危機を乗り切ろうと決意した。

幸い、近所に住むたつ江さんの親友Sさんが全面協力してくれた。押富さんが病院に勤めていたころの仲間や出産休暇中の友人も、都合のいい時間帯に登録してくれた。週末は、静岡県に嫁いだ姉の由紀さんが幼い甥や姪を連れて応援に駆けつけた。
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文=安藤明夫

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