「どういうわけか」評価が高い 日本の陶芸が秘める価値とは

伊ファエンツァで行われた「Argillá」で日本の陶芸家を紹介する展示


従来のラグジュアリー戦略理論においては、ラグジュアリーの知覚を構成する要素の中に「神秘性」がありました。「どういうわけか」というのはこの神秘性に属する要素と呼べるでしょうか。

もちろん、安西さんの文脈における「どういうわけか」は、狙って演出された神秘性ではなく、創り手が自分の創造性に忠実に(あるいは無自覚に)創り上げていった結果、言葉で解説することが困難であるけれどもまぎれもなく生まれている別格の差異ないし特徴のようなものを指すのだと思いますが……。

セラミックや陶器の世界にはまったく疎いこともあり、的外れな受け止め方であるかもしれないことはご寛恕いただくとして、「どういうわけか」を出発点にして連想が向かったところがあります。それは日本の高級時計がスイスの時計のレベルまでラグジュアリー化することができない現実です。

日本の高級時計はなぜスイス時計に並べない?


ロレックス
(Photo by Fatih Erel/Anadolu Agency/Getty Images)

どんなに機能やデザインが優れていても、「どういうわけか」スイスの機械式時計のように世界市場でラグジュアリー化できない。それはいったいなぜなのでしょうか?

日本を代表する高級時計のひとつにグランドセイコーがあります。グランドセイコーは2010年以降、海外市場展開を積極的に行い、2015年以降はスイスの時計メーカーで経験を積んだ外国人を起用してブランディング戦略を進めています。時計としての精確さはおそらく世界一であり、日本の屏風をイメージしたインデックスなど日本の美意識も盛り込まれており、飽きが来ない美しさを湛えています。

日本ではロレックス、オメガに次ぐ第3位のブランドとしてビジネスとしては成功しているとしても、グローバルなラグジュアリー市場においては並み居るスイス時計のような存在感は希薄です。

このもやもやした疑問を考えるヒント、あるいは議論の端緒になってくれるかもしれないのが、大阪大学のピエール=イヴ・ドンゼ先生による『ラグジュアリー産業 急成長の秘密』(有斐閣)のなかに記される次の一節です。この一節には、グランドセイコーが真珠のミキモトと同様、世界のラグジュアリービジネスのように伸びることができなかった例として書かれています。

「両社とも、国内市場で発展し、そのマーケティング戦略を単純に国際展開する形で海外進出を図って、難しさに直面した。ミキモトとセイコーは、日本のものづくりのすばらしさを体現するブランドである。ミキモトが最高の人工真珠を実現したこと、セイコーが世界一精確な時計をつくったことは、日本の消費者にとって常識であり、そうした物質面への評価が購入に結びついている。しかし、技術的な成果を強調するだけでは、華やかなストーリーで消費者を魅了しなければならないグローバル市場で成功することはできない」
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文=安西洋之(前半)、中野香織(後半)

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