8年というと、当時、少年だった世代も兵士になる年齢に達しています。つまり、いまドンバスの住民のなかから兵士が生まれ、ウクライナ軍と戦うというケースも起きているのです。2014年以前を知る元住民としては、また当地の学校で教壇に立ったことのある人間としても、これほど深い悲しみはありません。
「この映画で起きたことはすべて実際に起きた出来事」と語るセルゲイ・ロズニツァ監督(C)Atoms & V
映画「ドンバス」が描いているのは、2014年からこの地方で進められた住民に対するプロパガンダ工作の「準備」「導入」「浸透」「定着」に至るまでの悪夢の物語ともいうべきものです。そして現在においては、新たな占領地に「輸出」され、「転用」されるために使われるという、次なる段階に入っています。
糸沢さんが伝えたかったこと
思い出すのは、映画の上映中、隣の席にいた糸沢さんが息苦しさを覚えて、途中で席を立ちたいと伝えられたときのことだ。そのとき筆者は、次々と繰り出される不条理劇のようなシーンの連続に、これを底の見えない、救いようもない悲劇としてまっすぐ受け止めるべきなのか、極端に虚構化されたブラックユーモアであるとしてつっぱね相対化すべきなのか、当惑していた。
しかし、ドンバスの元住民である彼はまったく違う受け止め方をしていたのである。今日われわれはウクライナからの戦況報道にすっかり慣らされてしまっているが、戦争という極限状況では最も無力な存在である住民の立場になって考えれば、この作品で描かれたことは8年前の過去の話ではなく、「いまも、そしてこれからも新たなロシア軍占領下で行われる」ことなのだ。
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