経済・社会

2022.04.23 19:00

「戦闘」は終わっても「戦争」は続く。元ウクライナ在住カメラマンが考える難民支援

ウクライナ西部で孤児院を運営していた修道女がルハーンシク在住時代の知り合いの9人の子供とともにワルシャワ近郊に逃れてきた(糸沢さんの長女の撮影)


妻の一族の複雑なアイデンティティ


ウクライナという国は、言語の面ひとつ取っても地域差が大きいです。たとえば、ポーランド国境に接するウクライナ西部の町リヴィウでは、ほとんどの住民がポーランド語を理解します。一方、東部のルハーンシクではロシア語が生活言語となっています。
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さらに言えば、多くのウクライナ国民は、ビジネス言語としてはロシア語を使います。西から東へ行くほど、グラデーションのように言葉が変わっていくのです。

当然、そこで暮らす人たちのアイデンティティも、日本人からみると複雑です。妻の祖母がポーランドを離れることになったのは、ナチスに追われたからでした。ところが、旧ソ連のウクライナにやってきて彼女が知り合った祖父は、大戦終了後に、今度はシベリア送りになってしまう。その地がシベリアの中心都市であるノヴォシビルスクで、祖母は祖父を追って行きました。妻と彼女の父親はそこで生まれています。

妻の一族は、いわば世代をまたいで避難民となり、ロシアとウクライナとポーランドを行き交うことになったのです。私も彼女と知り合う前までは、このような人生を知りませんでした。それでも、多くの経験を重ね、このような複雑なアイデンティティも少しずつ理解できるようになりました。
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故郷から逃れて、日本、ポーランドと移り住み、私の子供たちも本当に強くなったと思います。子供たちは自分に日本人の血が半分流れていることを誇らしく思っているようで、私もうれしいです。

おそらく、今後いつか休戦協定が結ばれるでしょう。でも、戦闘はいったん終わったとしても、戦争は続くと思っています。

私はもうすぐ家族の待つポーランドに帰ります。先日も、ルハーンシク時代の旧友が難民としてワルシャワに来たそうで、とても見過ごすことはできないと妻は言っていました。彼らの身の回りの世話もそうですが、政府や支援団体が手の及ばない、細かい支援が必要なことも確かです。

たとえば難民認定のためには顔写真が必要で、プリント代などの費用がかかります。毛布や古着といった支援物資は多く届いているようですが、そういう手続きなどにはやはりお金が必要です。

私たち自身の生活もありますから、すべてをケアすることはできませんが、ポーランドに戻ったら難民家族を自宅に受け入れることを考えています。自分たちの身近でできる支援は何でもやるつもりです。


糸沢たかしさん。カメラマン。東京生まれ。2001年よりウクライナに暮らすが、2014年のドンバス地方の紛争で生活の地を追われ、現在は家族とワルシャワ在住


筆者は、今回、糸沢さんの話からウクライナについて多くのことを教えられた。もちろん彼が語ったことは、彼や彼の家族が経験したことの一部に過ぎないことは言うまでもないが、糸沢さん一家の物語から伝わってくる互いの絆の強さに胸を打たれたのも事実である。

それと、ロシアの極東地域の取材を続けていた筆者が、彼の話のなかであらためて考えさせられたのは、陸続きのユーラシアの人たちが、国家や民族のアイデンティティの問題とともに、時代とともに幾度となく書き換えられてきた国境線に囲まれて生きていることのリアルだ。これを、島国に暮らす私たちはどのように理解したらいいのだろうか。

最後に「戦闘は終わっても、戦争は続く」という糸沢さんの言葉。この言葉に対しては返す言葉が見つからないというのが正直な感想だ。

いま、筆者も含めて日本にいる糸沢さんの友人たちが、彼の考えているポーランドでの難民支援を支えるべく、ささやかな募金活動を始めている。

※ウクライナの地名は、基本的にはウクライナ語に近い発音で表記していますが、一部ウクライナ東部のロシア語圏の地名については、糸沢さんの話に合わせてロシア語に近い発音の表記も含んでいます。また本稿執筆時点では、ウクライナ東部は再びロシア軍との激戦地となっており、多数の避難民や避難から取り残された住民、多くの死者も出ています。

過去記事はこちら>>

文=中村正人 写真=糸沢たかし

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