ウクライナからドイツへ。母娘が経験した命がけの避難

地下鉄の車両での避難生活。愛猫もこのあといなくなってしまった(撮影場所:ハルキウ)

コロナ禍のゆるやかな終息気配のなか、国際交流やインバウンドの回復など、観光需要への期待を感じはじめていた矢先、ロシアによるウクライナ侵攻のニュースが飛び込んできた。日本に住む人間にとって、遠い過去や異国の出来事のように感じていた「戦争」が、いきなり身近なものと感じられた瞬間だった。

そして、今回の侵攻が長期化するにつれて、ロシア上空を避けるための飛行路線の大幅な変更や、欧州への物資輸送のストップなど、観光に携わる私の周囲にも、直接、さまざまな影響が出始めた。

そんななか、私がもっとも切実に「戦争」を身近に感じたのは、ドイツのフランクフルト在住の親しい日本人の知人とのオンラインミーティングの際、彼女から「所有する郊外の家にウクライナからの避難民の人を受け入れた」との話を聞いたときだった。

車で2日かけて命からがらの脱出


私の知人は、欧州企業とのビジネスマッチングやコーディネートの仕事をしており、定期的にさまざまな情報交換を行っているのだが、今回は、仕事のレベルを超える私の心に深く刺さるものだった。

知人が受け入れたのは、ウクライナのIT企業で働く30代のElenaさんとまだ6歳の娘さんの2人。知人は、Elenaさんの会社の日本誘致に成功し、本来ならば、Elenaさんは日本顧客のカスタマーサービスとして働くことになっていたというから、運命は皮肉だ。

Elenaさんは、ハルキウ(ハリコフ)という、最初に爆撃を受けたウクライナで2番目に大きな都市に住んでいた。街が爆撃でほとんど破壊され、幼い娘さんとともに車で2日かけて命からがら脱出してきたとのことだった。

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爆撃された住宅(撮影場所:ハルキウ)

正直に言えば、住む街が爆撃でほとんど破壊されたという現実については、その話を聞いたとき、はじめてリアルに胸に迫ってきた。最近はフェイクニュースや、プロパガンダとしてのやらせ映像も多いため、情報の真偽について鵜呑みにしてはいけないと常々感じていたこともあり、どこか他人事のように感じていた。
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文=古田菜穂子 写真提供=Elena

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