そんななか、オンライン越しではあったが、実際に知人自身が直接聞き、淡々と語る話はリアルで切実で、その情報はまさに「真実」だった。
Elenaさんたちは、ロシアによる侵攻が始まると、直後から地下や防空壕での避難生活となったそうだ。そして、爆撃がひどくなり、飼っていた3匹の猫も行方不明になってしまった3月10日の夜、小さな荷物を2つだけ持って、娘さんと2人、車でハルキウを離れた。
爆撃によって壁が吹き飛んだ住宅(撮影場所:ハルキウ)
その後、ハンガリー、スロバキアを経由して、チェコのプラハで1泊して、Elenaさんの母親が住むドイツのバート・ナウハイム(Bad Nauheim)という町に到着したそうだ。その間、小さな娘さんを乗せて、独りで車を運転するElenaさんの姿を想像するだけでも胸が痛む。
母親の家に到着すると、すでにそこには避難してきた1家族3人と、母親の友達4人の計9人が狭い部屋で、ベッドに横になって寝ていたという。そこで初めて、Elenaさんは勤めているウクライナのIT企業に連絡をとったのだという。
2日後の3月13日、私の知人のところにそのIT企業からElenaさんのために「長期滞在できる、あまり高額でないアパートを探しているので手伝ってくれないか?」という問い合わせがあったという。
知人は、即座に郊外の家を提供することとし、その連絡を受けたElenaさんは娘さんとともに、3月17日、車で母親の友達2人も一緒に、4人で知人の郊外の家にたどり着いた。その時のElenaさんは「言いようのない緊張感に包まれていた」という。
住民の生活の場所ともなった地下鉄の構内 (撮影場所:ハルキウ)
私はそれも当然だと思った。爆撃を受けて、数日間、地下で生活していた後の命がけの逃亡や、娘を守らなければいけないという責任感、そして将来への不安などでいっぱいだったことだろう。ウクライナの自宅がどうなっているかもわからず、友達や親戚もまだたくさんウクライナに残っているという。
Elenaさんたちを迎えた知人は、お手製のケーキを用意して、歓待した。皆で穏やかにお茶を飲んでいたが、突然、Elenaさんの母親の友達が「娘がロシア人と結婚し、ロシアに住んでいるが、いまこんな状態となって会うこともできず、自分1人、こうしてドイツまで逃げてきてしまった」と泣き出したという。こんなふうに一般庶民のささやかな幸せが、壊されているのだ。
欧州に根づく助け合いの心
その後も、折に触れて知人にはElenaさんたちの様子を尋ねた。テレビやネットで知る著名人のレポートではなく、直接、避難している人たちの様子が知りたかったのだ。当初は、そういうことを聞いてもよいのかと少し悩んだ。遠い日本で、ある意味平和ボケしたこの国で暮らす私たちが興味本位で尋ねてもよいのだろうかと。
知人にその気持ちを率直に伝えると、「菜穂子さん、もちろんオッケーだよ、逆に伝えたいって私は思う」と言ってくれた。私の知人は、30年以上に渡る欧州での暮らしのなかで、そういうことが自然体でできる人になっているのだ。
その後、Elenaさん母娘の様子として、知人から届いたメールには以下のように綴られていた。