時には“教育虐待”にいたることも
おおた 子どもの中学受験が終わったという方から、自分は教育虐待をしていたのではないか、というメールを受け取ったことがあります。自分はすごく子どもを傷つけていたと思うと。だから大学に入って、教育虐待について学びたいという相談でした。その方自身、非常に高学歴の受験エリートですが、子どもの中学受験で初めて挫折を経験したようです。僕が危ういと思ったのは、その方は、大学で勉強して自身の挫折を克服したという証拠がほしいのではないかということ。
朝比奈 常に勝たなくてはいけないという価値観をもっているんですね。
おおた 受験エリートに多いんです。ありのままの子どもを認めるとか、ありのままの自分を認めるということは、大学に行かなくてもできます。子どもは親が自らの過ちに気づいてくれるだけでいい。そこから新しい人生の幕が始まるんです。
朝比奈 『なぜ中学受験するのか?』に損得勘定という言葉が出てきました。親が「こっちにいたら得だから」「こういうことをしたら得だから」と結果への最短距離を求めてしまうために、幸せな回り道ができない子を量産していると感じます。でも回り道をしたり落とし穴に落ちたりすることが人生の味わいであったり、自分や周りの人を幸せにする力を育んでくれたりすると思うんです。子どもの頃から損得勘定を植え付けられてしまうと、大人になって自分の人生が幸せだと感じられないこともあります。
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おおた なぜ損得勘定にとらわれてしまうかというと、現代の人々が何事もビジネス的な観点で評価するようになったからです。何を買うにしても何を選ぶにしてもコスパなど目に見える数字で判断してしまうんです。
その延長線上で中学受験を見てしまうことが根本的な問題だと思います。だけど子どもを育てるには、思い通りにいかないことも思いがけないよろこびもたくさんあります。ビジネス的な論理と合うわけがないんです。
朝比奈 子どもたちをどう育てるかは未来につながっているのに。
おおた そういう時にこそ『なぜ中学受験するのか?』や『翼の翼』を読んでほしい。僕は子どもが落ち込んでいたら、「ケーキを買ってきたからいっしょに食べよう」と言えばいいと書きました。新しい参考書を買ってきても助けることになっていないんです。これは中学受験だけではなく人生のあらゆることに当てはまります。つまり目的が何なのかということをしっかり考えることが大切です。たとえば中学受験なら、目的は子どもの偏差値を上げることなのか、それとも子どもが幸せな人生を送ることなのか。後者なら、偏差値が下がったくらいなんだと。なかなかその場では思えないかもしれないですが、そういう視点をもつことが必要です。