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放送作家・脚本家、「くまモン」の生みの親。

イラストレーション=サイトウユウスケ

放送作家・脚本家の小山薫堂が「有意義なお金の使い方」を妄想する連載第40回。「茶」や「花」に続く「湯」の道を思いついて3年半。日本はもちろん、フランスやスイスでも湯道が広がる気配が……。


2015年7月、僕は入浴をひとつの道と捉える「湯道」を立ち上げた。お茶やお花が長い年月を経て「茶道」や「華道」になったのなら、お湯もいまから道をつくれば400年後に立派な文化になるのではないか──。そう思ったのがきっかけだ(連載第4回第18回に詳しいです)。

あれから早や3年が経ち、湯道は、少しずつではあるが各所で浸透しつつある。16年3月には、宮崎県のフェニックス・シーガイア・リゾートに湯道を体現した初のお湯室「おゆのみや」がオープン。そこが伝統工芸の発信拠点のひとつになればという想いから、藍染の手ぬぐいや名産品の飫お肥び杉でつくった桶などの湯道具を地元の作家さんたちに制作していただいた。

10月には、給湯器やシステムバスなどを製造販売するノーリツさんが「湯道の精神に共感した」と言ってくださり、ノーリツのHPで「湯道百選」という連載がスタートした。湯を愛する人の想いはさまざまだ。温泉を極めたい人もいれば、銭湯を愛する人もいる。自宅の風呂がいちばん落ち着くという人もいる。共通するのは、湯に浸かる喜び、湯に対する愛。そこで僕自身が湯の旅を重ね、そこで見える気づきや学びを「湯の記」として綴ることにしたのだ。

ノーリツの創業者・名誉会長の太田敏郎さんのご著書に『お風呂は人を幸せにする』という本がある。1950(昭和25)年、太田さんは友人の紹介で、タイル仕上げの風呂釜「能率風呂」を発明した職人に出会った。素っ裸になって入浴すると、日本の従来の五右衛門風呂とはまったく違って、温かいお湯が底からふわふわと湧き上がり、天然温泉のように感じる。

海軍兵学校時代、海上訓練のあとに入ったお風呂で凍てついた身体を温めたこと、故郷にいる母を恋しく思い浮かべたことを想起した太田さんは、このお風呂を販売するために能率風呂商会(現ノーリツ)を起業。その後もガス給湯器や浴室の温度設定・追い焚き機能などを開発して、日本の入浴文化に社会的影響を与えてきた。いわば、太田さんのおかげで、僕たちはいまボタンひとつで湯を沸かせるお風呂に入れているのである。

長らく続いた社会の慣習や文化を変えることは、本当に難しい。それが、たったひとりの「お風呂で人を幸せにしたい」という情熱と飽くなき挑戦で実現したことに、僕は素直に感動する。実に価値のある素敵なことだと思う。

フランスやスイスで湯道が開花!?

湯船にゆっくり浸かったことのない外国人は多い。そんな彼らが日本にやってきて温泉や銭湯を訪れると、最初こそ恥ずかしがったり「日本人はきれい好きだな」と呆れたりしているが、そのうち「なんて素晴らしい文化なんだ!」と気がついてくれる。そこで僕は「湯道」は外国から広めるほうがいいのではないか、と考えた。お風呂に入るという行為は、日本人にとってあまりにも当たり前すぎるのだ。

京都に「ヴィラ九条山」という、アジアで唯一のフランスのアーティスト・レジデンス施設がある。さきごろ、このヴィラ九条山に滞在している、日本の銭湯に魅せられたヨハンさんというフランス人デザイナーに出会った。1900年代のパリの文化の中心はカフェだったけれど、ヨハンさん曰く「日本の銭湯も、知らない人が裸同士でコミュニケーションをとる場という意味において、カフェに匹敵する文化だ!」というわけだ。

「サード・プレイス」という言葉はお聞きになったことがあるだろうか。自宅(第1の場)でも職場(第2の場)でもない、心地よい第3の居場所を指す言葉で、アメリカの社会学者レイ・オルデンバーグは「サード・プレイスは現代社会において重要である」

「パリのカフェほどサード・プレイス的な場所はない」と説いている。ヨハン君の現在の目標はパリに銭湯をつくることだが、その銭湯がいつかパリ市民のサード・プレイスになったらいいな、と僕も一緒になって夢見ている。

イラストレーション=サイトウユウスケ

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