昨年(2017年)から雑誌『Pen』で「人間国宝の肖像」という連載を担当している。直接お話を伺い、撮影もさせてもらっているのだが、その言葉は奥深く、所作は美しく、取材が本当に楽しい。これまでお会いしたのは約30人で、その全員に謙虚さ、向上心、好奇心が共通していた。
80歳を超えてなお「最近ようやくわかってきました」「自分の師匠にはまだまだ及びません」などとおっしゃるのには心打たれる。
実は20代のころから人間国宝を記録する番組をつくりたいと思っていた。「人間国宝」をあらためて辞書で引くと「日本の文化財保護法に基づき文部科学大臣が指定した重要無形文化財の保持者として認定された人物を指す通称」とある。
つまり、人間国宝という存在を捉えることで、歴史上または芸術上で高い価値のある演劇、音楽、工芸技術その他の無形文化財の世界に、一般の人が耳を傾けるきっかけになったらと考えたのだ。しかし、地味だと思われたのか、番組企画は通らなかった。
人間国宝は、その世界を「発信」することより「継承」することに重きが置かれているから、現在もその人自身にスポットが当たるということが少ない。せいぜい認定直後に新聞社に取材される程度で、いわば名誉職的なものになってしまっている。
だが、昨年創設50年を迎えた文化庁が文化財に対して「保存の時代から活用の時代へ」とうたい、「日本遺産(連載第26回に詳しい)」を始めたりしているわけで、人間国宝も活用の時代に入らないといけないと個人的に思っている。
そのために必要なのは、もっと早い段階での認定だろう。というのも、トップ・オブ・トップになった人に与えるものだから、特に芸能の方は肉体の限界が近い。もっと脂が乗っている時期、せめて50代くらいで人間国宝となり、次世代に教え伝えていく仕組みをつくった方がいいと思う。
一方で、技を受け継ぐには時間がかかるから、10代か、せめて20代の若者が無形文化財というものを知り、その道を進むきっかけになる仕組みも必要ではないだろうか。
現在のような「継承」のためだけの存在では、これからも線が細々と繋がっていくだけだ。外に「発信」して初めて、線はもっと太くなる可能性が生まれる。その線を太くする何かに、僕も関わっていけたらと思っている。
料亭の主人は世界とつながる扉
こう書くとちょっと大げさだが、京都の料亭「下鴨茶寮」の経営を引き継いだのは、僕にとっては継承であり、新たなる発信でもある。「料亭」というものを深く理解して引き受けたわけではない。
ただ、文化と歴史が背景にあって、人と人が出会うサロン的な機能を果たす魅力的な場であるとは十分に感じていたから、「料亭のブランディングに関わりませんか?」と声をかけていただいたとき、すごく面白そうだなと思った。
ところがブランディングだけでなく、経営まで任せるという話になったのである。最初は絶対無理だと思ったが、すぐに「無理をしてでもこの未知なる挑戦に取り組むべきではないか」と考え直した。そのいちばんの理由は「世界と繋がる道ができるのではないか」と思い至ったことだ。