世界的企業の経営者と日本中世史研究の第一人者。中高時代をともにした「同級生」が語り合うビジネスと歴史学の意外な共通点。
エビデンスや数値化が求められ、客観性に重きが置かれる現代。2024年の「新語」として三省堂が大賞に選んだ言葉はまさに「言語化」だったが、一方で明確に表現できない直観や意識にこそ創造の源泉があることは今も昔も変わらない。
「言語化できない」ことは果たして悪いことなのか?
かつて武蔵中学・高校で同級生だった歴史家と経営者が、アブダクションからイノベーションまで、「言語化できない」がもたらす学問とビジネスへのインパクトについて語り合う、異色対談。
瀬戸欣哉(以下、瀬戸):中2の夏休みの自由課題で本郷が発表した「論文」は今でも覚えています。11世紀だったか12世紀だったか当時の東洋と西洋の軍事力を比較して、もし戦争したらどっちが勝つかっていうものだったよね。宋にはこれくらいの軍勢があり、十字軍はこれくらいでこういう武器をもっていて、というシミュレーション。──というのだけでもすごいんだけど、日本だと源氏がこれくらいいて、平家がこれくらいいて、でも『吾妻鏡』(鎌倉時代後期に成立した歴史書。鎌倉幕府の公式な編纂といわれ、源頼政の挙兵から平家追討、実朝暗殺、承久の乱、宗尊親王の京都送還までが記されている)に書かれているこの数字は誇張が激しいはずだからこれくらいだ、なんてところまで調べていて。
本郷和人(以下、本郷):よくそんなこと覚えてるね(笑)。ま、そのまんま僕は歴史のお仕事をしていますが、歴史学は大変ですよ。
人文学の危機だとか、文学部の終わりとかいわれてずいぶん時間はたっているけれど、歴史研究の肩身は狭くなるばかり。
瀬戸:歴史好きの身としてはとても寂しい話題だけど、実際、今の学問は再現性があるかないかがとても重要になっているでしょう。
社会科学で再現性と言われても、という気もするけれど、自然科学の物理や化学では条件が同じであれば誰がやっても同じ現象が起きるという再現性をあくまで追求する。こうした自然科学的な法則性が商品開発や、イノベーションに応用される基礎になるから大学経営でも注力されるし……。
本郷:逆に、子どもを学校に入れる親御さんは文学部に見向きもしないよね(笑)。
史実、史像、史観
瀬戸:僕は昔、ダイレクトマーケティングの仕事をしていたことがあるんですが、この仕事はまずある仮説を立てる。
例えば「この商品は20代の女性に売れる可能性が高い。なぜなら、この世代であればほかの美容効果よりも、美白効果を選ぶんじゃないか」と仮説を立てて、20代と30代それぞれの世代にテスト商品を送付してみる。こうやって検証して正しいとわかれば、そこをターゲットにして集中的に販売する。
