本郷:そういう仮説は自分たちで立てていたんですか?
瀬戸:そうです。ところが会社が途中で機械学習のマーケティングシステムを導入した。そこには顧客のありとあらゆる要素をデータとして入れました。性別、年代、住んでいる地域、過去その人がどんなものを買ったかまで全部。すると、この順位の人まではこの商品を買うので採算がとれる、これ以上販売先の裾野を広げると採算がとれなくなる、という結果が一発で出てくるようになった。
すると、当然のことながら誰も考えなくなったわけです。
本郷:仮説を。
瀬戸:そう、仮説を考えない。そして、考えないほうがどんどんうまくいっちゃうわけです。すると、結果に対して「どうして?」という疑問や、因果関係を検証するような頭が働かなくなってしまう。マーケティングの結果に対するプロセスが「ブラックボックス」になってしまったんです。
本郷:歴史研究というのはある事実や史料を前にして「史実」を復元し、いくつも並べて俯瞰することで「史像」を描く。そしていくつもの史像を集めたうえで「史観」をつくる営みです。
だからまず自分なりの仮説を立てるというのは基本で、「ブラックボックス」が発生することはないのだけど、マーケティングや自然科学と違うのは検証作業が難しいということ。
瀬戸:桶狭間の戦いをもう一度再現してみるとか、できないわけだからね。
本郷:だから誰が考えてもこういう条件があれば歴史としてはこういう結末を迎える、といった再現性はものすごく低い学問だし、法則性というものも理論として提示するにはとてもハードルのある世界なんです。
アブダクションとインスピレーション
瀬戸:あえて挑発的な意見を言うけれど、歴史研究にAIを導入したらどうなるんだろう。日本中、いや世界中の歴史に関する史料を読み込ませたAIがあれば、AからZまでの共通事例を帰納して、再現性のある歴史の法則を生み出す可能性があるんじゃないかと思うんだけど。
本郷:学者が推論しなくなるなんて問題外だと思う。
瀬戸:いや、僕もそう思ってあえて言ってみたんです。歴史学者が推論しなくなったら歴史学は死んでしまう。「学問の死」ですよ。
本郷:確かにAIで言語化されるものはたくさんあると思う。だけど歴史学を含む人文学の世界ではそれだけでは学問の成果とはいえないところがある。きれいに言語化できているだけのレベルじゃ、まだ学問になっていない。史実の実証はあくまで研究の入り口に過ぎないし、そこから史像、さらに史観へスケールアップさせていくなかに必要なのは「そう来たか!」という思わぬ発想、腹落ちさせるインパクトがある推論がなければ本物の歴史研究と言えないと考えています。
それで言うと「アブダクション」という推論のあり方が「第3の推論」ともいわれて再注目されています。推論に大胆な飛躍を取り入れることで難題を突破できたり、誰も発想しないようなアイデアが生まれる。そういった思考の方法です。
名経営者というのはそういうところがあるんじゃないですか。例えば「この商品ヒットしそうだ」という言語化できない直観がまずあって、そのあとで直観が裏付けられるデータが出てきて「言語化」されるというような。


