フリーアナウンサーの有働由美子が、「いつまで働く?」をテーマにした新連載を開始。50歳を目前にNHKを退社し、新たな道を開拓してきた自身の経験をもとに、仕事との向き合い方や40代以降に迎えるミッドライフクライシス(中年の危機)の乗り越え方、働き方のシフトチェンジなどについて、ありのままに語る。初回は、「会社を辞めた理由」だ。
4月の入社や転勤や異動で、やる気満ちあふれる季節になんですが、今回のテーマは「会社を辞めた理由」です。空気読まずにすみません。今や転職はもてはやされ、そのハードルはかなり低くなってはいますが、とはいえ長く勤めちゃった中年が会社を辞めるというのは、「脱北」するくらいの勇気がいるものです(個人の想像と感想です)。そこのところの今まで言えなかった本音を、書き連ねさせていただきます。
申し遅れましたが、わたくし「ウドウユミコ」と申します。NHKで27年アナウンサーとして勤め、定年まで勤めることを信条に生きていたのに、49歳の時に、会社を辞めました。今はフリーでいろんなテレビ局やラジオ局を渡り歩いて7年がたちます。
定年まで勤めるはずのわたしが「なぜ辞めた」か?
私の27年の会社人生は、基本的に機会に恵まれていました。アナウンサーと言えば、ミスなんとかコンテストに出ているような高学歴、容姿端麗な方が多いなかで、その中に並ぶと一人浮くぐらい平凡な顔立ち、特記することのない程度の部活や学歴。英会話教室には長く通っていたけれど、帰国子女でもなければ、ジャパニーズイングリッシュのアクセントや語学力は普通。と、素養に恵まれなかったことは、卑下ではなくファクトとして認識しています。その割には、身に余る機会をNHKでは与えていただいていました。

入社から3週間のアナウンサー研修、それを経て、NHK大阪局に赴任、入社4年目から「おはよう日本」「サンデースポーツ」「ニュース10」「スタジオパークからこんにちは」アメリカNY勤務特派員、「あさイチ」など、輝かしい番組に参加させていただきました。これで文句を言ったら、総NHKアナウンサーに罵倒されるくらいのラッキーな経歴です。誰よりも私自身がそれを認識していました。「分不相応な待遇だぞ、私」と。なので、会社を辞める気なんてさらさらありませんでした。時折上司には刃向かったりしていましたが、それも定年まで勤める私の人生そのものだから、言えたのです。
じゃあ、なんで辞める決断をしたのか。恋人同士が別れるときの理由が一つじゃないのと同じで、複数のいろんなことが重なっていました。が、あえて一つあげるなら、「なんか、私、こんなもんだと思って、生きてないか?」でした。
スパっとした決断ではなかったけれど
ああ、自己実現とか自分探しね、と思われるかもしれませんが、そうではないんです(自己実現とか自分探しという言葉が苦手です。その理由はまたいずれ)。
なんだか50歳を前にすると、組織でわがままが言いにくくなる。いろいろわかってきちゃって、むしろいろいろ言いにくくなる。
若い頃はただただ、自分の気持ちを大事にし、ピュアすぎる正義感と向上心でぶち当たること、できましたよね(同世代の方ならわかってくれますよね)。私だって本当は現場で毎日若い仲間たちとああだこうだと意見を交わして、向上しながらいい放送をし、生き生きと働きたい! それがかなうなら出世なんてしなくていい! こんなふうに思っていても、その年次になると、管理職という名のもと、組織のために何ができるかを常に問われ、そのいちばんが、現場を退いて後輩たちに譲ることでした。