あの日から1年。ジャーナリストとして国内外を取材しつつ、日本テレビ系の報道番組『news zero』のメインキャスターも務める有働。今だからこそ話せる「NHKを辞めた本当の理由」は。その先に見据える自身と世界の「わくわくする未来」は。2回にわたってお届けする(後編は5月1日公開)。
──27年間勤めたNHKを卒業されてから、1年が経ちました。改めて、卒業の理由を教えてください。
ひとつは、年齢的に管理業務を提示された時に、いや、もっと現場でやりたいですと思ったことです。そして、もう一つは何をやるにもNHKの枠で考えてしまう自分に、違和感も覚えていたからです。組織の目線で、これをしてはいけない、こう考えなくてはいけないと思ってしまう。「あさイチ」のキャスターを務めていたときも、自分はどう思うかより「組織の中で何が言えるか」を優先している自分がいる、ということがありました。
取材現場でも同じです。本当はもっと深く取材したいけれど、「NHKとして、これ以上は踏み込めないな」とか。震災報道にしても、当初は取材した瞬間だけを切り取って「私は取材した、見た」と伝えることに、わだかまりがあって。そのうち、自分が伝えたいことと組織の価値観とのぶつかりを、ぶつかりとすら思わなくなり始めていると気づきました。自分自身が、組織に合わせて思考を制限していたのです。
そのとき、ふと思いました。入局したばかりの頃は、何をやっても上司や先輩に怒られていたなと。「なんでそんなことを取材したんだ!」。毎日が、その繰り返しだった。でも今は、誰にも怒られなくなった。どちらが楽しいかというと昔のほうだし、当時のほうが色々なネタを掴んでいたように思います。
知らないことを自分なりに追いかけていけるのが、この仕事の面白さです。その感覚を取り戻すためにも、一度組織を出てもいいのではと考え、NHKを卒業しました。
──そもそも、有働さんが報道を目指した理由は何ですか。
きっかけは、小学校4年生の頃にさかのぼります。
第二次オイルショックの後、省エネのために学校の教室の電気を消していた時期がありました。でも大阪の繁華街は、ネオンがギラギラしている。なぜ、繁華街は電気を消さないのだろう。理由が知りたくて「毎日小学生新聞」の編集部に電話したら、丁寧に解説してくれました。そのとき、「私もこういう仕事がしたい」と強く思ったのが原点です。
小学校では壁新聞の製作などを手掛けていました。当時から面白いことを調べたい、それを誰かに伝えたいとの思いが人一倍強い子供でした。「面白いことがあるよ」と聞くと野次馬根性で付いて行って、家に帰って母親に見聞きしたことを逐一伝えていました。
NHKに入局した頃も同じです。道を歩いていて面白いものを発見したら、近くの家のインターホンを押して、「すみませ〜ん、表にあるもの、見せてもらってもいいですか」とやっていました。住民の方からあいつは本当にNHK職員かと問い合わせの連絡が入ったこともあるそうですが(笑)、そこから意外な生の情報が聞けたりするんですよね。3分の尺でラジオの番組を作る仕事を与えられると、自分が納得するまで徹底して取材を続ける。「3分のラジオのために何日かけてるんだ!」と、これまた上司に怒られましたけど。
新しい価値観に触れたり、新たな事実を知ったりするのが好きなんですよね。そして、自分が納得するまで追いかけていたいんです。
【後編】嘘はつかない、守りに入らない。『あさイチ』で学んだ枠の破り方