つぎはぎ思考と知的依存
綿密に論理を組み立て、微妙なニュアンスを探り、独自のつながりを創出する代わりに、私たちはAIに重労働を任せはじめている。これは一時的な利便性を超え、深い思考を続ける力や複雑なアイデアを表現する力、さらに歴史的にイノベーションと進歩を促してきた知的探求の営みを失わせる可能性がある。
AIを日常的に使うことは「主体性の衰退」を引き起こし、最も些細な知的タスクですら少しずつAIに委ねるようになると言われる。文章作成を常にAIに任せることで、「つぎはぎ思考」、つまり書き手が統一的な論理構成や流暢な文章構築の苦労を放棄し、AIに断片をつなぎ合わせてもらうという新たな認知的断片化が生じる。
この変化がもたらす影響は、不安を掻き立てる。執筆プロセスをより多くAIに委ねるにつれて、私たちは無意識のうちに批判的な思考能力をもアウトソーシングしてしまっていないだろうか。
認知的オフローディング(cognitive offloading、思考の外部化)に関する研究からは、外部ツールへの依存が知的努力を軽減し、長期的には能力の低下をもたらす可能性が示唆されている。また、テクノロジーが注意力に及ぼす影響を調べた研究では、マルチタスクとデジタルツールへの依存が思考を断片化し、集中を保って一貫した思考を続けることを困難にする恐れがあることが指摘されている。脳は筋肉と同じで、使わなければ衰えるというわけだ。
効率性という魅力
AIはワークフローを合理化し、成果物の量と質を高めると同時に、これまで苦手や面倒だと感じていた作業に費やしていた時間を解放してくれる。そのため表面上は、メリットが多いように見える。しかし落とし穴もある。
文章作成では、スポーツと同様に「どのように」書くかが「何を書くか」と同じくらい重要だ。言い換えれば最終的な完成品だけでなく、そのプロセス自体が価値を持つ。言葉に苦闘して複雑なアイデアに取り組み、論理を丁寧に構築することは、思考を成長させ、洗練させるうえで欠かせない。こうした「認知の格闘」をAIに明け渡すことで、私たちは思考を鍛える大切な機会を失っている恐れがある。アウトプットの量や見栄えは向上するかもしれないが、アイデアの段階的な洗練、言語の柔軟性、表現の豊かさといった面では失うものもあるだろう。
さらに覚えておきたいのは、AIがどれほど優秀でも、2025年3月時点で最先端の商用モデルですら「幻覚(ハルシネーション)」を起こしやすいということだ。創造力においても、人間の専門家に及ばない部分が残る。これは仕事の快適性と結果の卓越性、職業的利便性と自己成長のトレードオフである。私たちにとって最も重要なものは、往々にして不便を伴う。近道は一時的には機能しても、長期的には損失につながる可能性があるのだ。
ではAIの時代、私たちはどのように複雑で新しい精神世界を切り開いていけばいいのか。また、知的独立性を犠牲にすることなく、どのように拡大する人工的な資産の力を活用していけばいいのだろうか。